ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

丁寧な暮らしには憧れるけど

一つの器を大切に長く使う・・・

食材も吟味して、下味からちゃんと料理する・・・

モノのご縁を大切にする・・・

 

そんな丁寧な暮らしに憧れがあります。

アレもコレもと沢山は要らないから、僅かな好きなモノだけに囲まれる豊かさ、みたいな。

 

現実どうよ!?

残念ながら余裕がない・・・っ (´・ω・`)

 

素敵な器があっても、食洗器NGかぁ~・・・それだけ手洗いは無理だな。

調理も、ショウガもニンニクもチューブ使い、味の素、コンソメ、なんでも常備。

100均に行けば大人買い

 

コラコラ・・・(;・∀・)

気が付けば真逆の事をしている。

 

時間の余裕と、心の余裕が無いのよね・・・。(´・ω・`)

1時間しかない調理時間で、帰宅してからバタバタと料理する時に、器の色と形の取り合わせをゆっくり考える余裕など、、、無い。

ゆっくりお出汁をとってたらそれで終わっちゃう。どんどん作っていかないと夕食時間に間に合わない。

ひと段落ついて、初めてゆっくりソファーに腰を下ろす僅かな自由時間を削ってまで、食器や道具のお手入れなど、、、余力が無い。

 

無理して形だけ取り繕っても・・・きっとそれは丁寧な暮らしではなく、「丁寧な暮らしごっこ」。

ワタシがしたいのは、ソッチじゃない。

 

憧れの生活よ・・・。

朝練後、家でグリーンスムージー作って、フルーツは何種類か盛り合わせ、美味しいコーヒーを入れて味わう豊かなひと時。

 

・・・現実は、朝練後、10分で支度しそのまま電車に飛び乗って、コンビニで買ったコーヒーとパンを会社の席でこそこそ食べるガサツなおばさん。

家に帰れば洗濯物が待っていて、、、畳むのも疲れて翌日に繰り越す事も、気になるホコリすら見なかったことにする始末。

 

現実を生きるとは、、、そういうこと。

でも、私だけじゃない・・・よね!?

 

理想と現実の儚さよ。

 

今は現実の中で如何にギリ納得できる範囲に収めるか・・・というところ。

家がモノで溢れてゴチャゴチャしないように、増えたら捨てる。

即席の冷凍を使っても良いけど、一食全部それで済ませない。

たまには悪態ついても、そんな自分もオッケー。

 

出来ないものを嘆いてストレスになるより、「今はこれで納得する」ラインを設けてそこからはみ出ないように暮らしてみる。

朝、オフィスの席でこそこそパンを食べながらでも、、、ま、これはコレでと自分を許す。

洗濯ものを畳む余力が無くても、しょーがない・・・明日の自分に期待。

疲れて摩耗している自分は、まずは労わってあげないとね。

 

なにせ・・・まだ人生折り返し。

女性の平均寿命からしたら、あと人生半分は残っているわけです。

そしてその半分は下り坂。

体力も落ち、仕事も引退し、時間とヒマが増えていく。

その残りの人生の楽しみに取っておいても・・・損はないはず (・´з`・)

急いでシフトしなくても、、、きっとずっと願い続けて行けば、理想に近い生活に少しずつ変わっていけるはず。

 

その時に初めて「丁寧な暮らし」というものを捉えられると思うのです。

まだ、時間も心も準備が足りない今は・・・楽しみに待っておく猶予期間と思っています。

 

そのうち、一つずつ肩の荷が下りた時に、一つずつ丁寧な暮らしアイテムが増えていくイメージ。

焦る事はない・・・。

今は無理に寄せて行かなくても良いはず。

 

丁寧な暮らしなんて、暇で単調で静かなもんだろな・・・。

その頃にはネコかイヌを飼って、、、暮らしていたいものです。

家族と一緒に単調な静かな暮らしをするって、、、きっと素敵な事でしょうね~。

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今は、バタバタ、ドタドタ・・・アイカタとふたり落ち着かない生活。

ゆっくり出来るまで・・・あと10年、15年かな・・・。

 

今って隠居は何歳ぐらいなんですかね?

 

昔は60歳定年で隠居生活というイメージでしたが、今の60歳はバリバリ現役の若さですよ。

そして私が60歳になった頃、今の60代よりはるかに現役感をまとった姿で居たいもんだ。

若さは永遠のテーマですからね。

ラクティス続けているのだろうか? ねぇ・・・。

ワタシがこのブログを60歳ぐらいで読み返したら、なんてコメントするか期待して待っておきます。

答え合わせはあと13年後!!