「その人に好かれたいとするならば、好かれようと振舞うのではなく、ありのままでいること」
・・・深いですねぇ~ (‘ω’)
でも、そんなものなんでしょうね・・・過剰にアピールする姿は、逆に相手から見透かされてしまうものです。
そして自分も疲れてしまう気がします。
好かれたい!という気持ちはとても尊いです。
だって、その人を大切に思うって、何億人の世界人口の中で、どれだけそう思える人がいるか、、、。
ただ、それが一方通行である可能性もあります。 (;’∀’)
アイドルさん達は、お仕事です(←キッパリ)
ファンの方たちは、作られたアイドル像から妄想した姿を「きっとこういう人だろう」と仮定して、好きなのです。
アイドルさんも、本当の自分ではなく、アイドルとしての自分が好きなのね、、、、と見透かすでしょうね。
同じような事が普通の人間関係でもあるのでは?と思います。
好きだから、同じように好きになってもらおうと・・・頑張りすぎてしまう時。
その人が期待しているであろう言葉を考えて、好かれるために発した言葉や、
その人が求めていると思う態度を忖度して、嫌われないようにへつらった態度とか・・・
本当の自分ではないから、なんか薄っぺらく、不安定で、自信がない・・・(‘ω’)
受け取った相手も、薄々見えてるかも。
そして「好き」と「好かれる」、、、の上下関係みたいなものがあって
スタートからフラットな友達としての関係とは、ちょっと違う気がしますし。
それよりも、好きという大切な気持ちを持ったまま、、、自分らしく自然体の姿の方が、ちゃんと気持ちが伝わる気がします。
まずは自分が心を開く。
そこから人間関係って始まっていくもんなんだよね・・・と思うのですよ。
仕事の時はお仕事モードで、プライベートとは切り離しているので、、、あくまでもプライベートの人間関係についてです。
割とそこはキッチリ境界線があるタイプです。(´∀`)
大人になってから携わった小学校で、目立つ顔立ちのキレイな男子の双子の兄弟の事を思い出します。
彼らは、どういう言葉や態度が大人を喜ばすのか、可愛らしいと思うのか、忖度出来ちゃうのですよ(怖っ!)
可愛かったけど、末恐ろしかったわ~。
私は・・・同じクラスにいた問題児だけど、真っ直ぐな子と仲良くなりました。(なぜか私が面倒を見られる側だったけど)
とは言え・・・誰の前でも自然体って、そりゃ難しいですよね・・・。
でも、そうありたいと思う事で、自分の行動や思考が少しずつ変わっていくと思っています。
なるべく取り繕うのではなく、自分らしい姿を見せた方が良い・・・はず。
人間じゃないですけどね、、、アシュタンガに対しても、好かれようとしない・・・をモットーに。
キッチリ&ちゃんと“良い子の練習”なんてしてませんっ。
毎回頑張ってフルプラクティスしなきゃっダメ!なんて思ってなくて、
集中して頑張る姿を周りにも見せないと・・・も無く。
身体の動きが鈍くて、呼吸やドリシティがどうにもならなくても・・・それでも良いし。
全部カッチリやろうなんて、、、思っちゃいません(←コラ)
カポも数週間してないなと思って、体の動く日にスタジオでチャレンジしてみました。
すっかり退化して、ドデーンと頭から落ちて全く腕も伸ばせず終了・・・。
取り繕って、身体が痛いからできなかったアピールや、
今日だけ、たまたま調子が悪いのよっていう周りへのアピール・・・
昔はちょっとやっちまってましたが・・・最近は一切無し。
良いのですよ。
それが今の私なんだし。
誰かに見せたり、アピールする練習ではなくなったんでしょうね。
図々しいというか・・・なぜか出来ないのにデーンと構えている太々しいヒヨッコです。
アシュタンガに好かれようとしない方が、逆に自然体の“好き”でいられる気がしています。
相手(アシュタンガ)が私を好きかは、、、知りません(笑)。
恐らくは・・・知らぬが仏ですよ (;’∀’)