母がコロナで外出制限などで持て余した時間を使い、家で千羽鶴を作っていたそうです。
ヒマつぶし&脳トレにもなるし一石二鳥、という考えらしいですけど・・・ふと思い出したのが、千羽鶴いらない論争。
被災地へ千羽鶴を送る人が後を絶たず、善意を断るわけにも行かず、保管場所や対処に困ったそうです。
確かに・・・。
ウクライナへ千羽鶴を送る・送らないも一時期ちょっと議論になりましたね。
なかなか難しいですね。
被災した側は、今欲しいのは物資と温かい食事・・でも倉庫には行き場のない千羽鶴が山積み。
気持ちは嬉しいけど、、、それじゃないっていう想いも分かります。
断ったり送り返すわけにも行かないし・・・って事なのでしょうね。
送った側も、まさかアリガタ迷惑アイテムとして扱われると思わず、「良かれと思ってやってあげたのに!」と憤ったり。
・・・母はどこか介護施設でも持っていこう、、、、ぐらいに思っていたそうなので、止めた方がいいとアドバイスしました。
善意の暴力・・・強い言葉だけど、「せっかく喜ぶだろうと思ったのに、要らないとは失礼なっ」って気持ちがあれば、、、きっとそういう事なんだろうな。
やってあげた、という自己満足の押し付けになってしまう・・・。
根本はゴルフ練習場などにいる“勝手に教えたがり”おじさん・・・みたいな感じですかね。
指導を断ると、「アンタが下手くそだから親切心で教えてやっているのに、なんだその態度はっ」となぜか激怒・・・なんてね。
もちろん、時と場合によっては、千羽鶴から力をもらったり、癒しになったりすることもあります。
ケガや病気で入院時に、もし友達からもらった千羽鶴があったら・・・嬉しいと思います。
夏野菜が出来過ぎた季節に、会社の人や友人にお裾分けで何人かにあげました。
その中で「あ~家で料理しないんで、要らないです」とちゃんと断ってくれた人がいました。
今後の事を考えたら、、、そうやってしっかり意思表示してくれた方がありがたいですよね。
断れずに一旦持ち帰って、そのまま腐らせて捨てられる運命ならば、、、私の野菜達が泣くわよ。
そして次回からは、お互いに気持ちを煩わせる事無く、
「あ、要らないんだよね」
「そうそう、料理しない(笑)」・・・で片付くのです。
英語で言えば 「Thank you, but no thank you」 (お気持ちは嬉しい。でも要らないの)
ちゃんと断るのも善意だったりするのです。
相手にとって、自分にとって・・・善意とは何だろう?
自分が善意と思っている行為も単に自己満足で、相手には善意として受け取れないものかもしれない。
本当に相手が必要としている時に、求めているサポートを行ってあげたいものです。
断る事でギクシャクしたり、関係が悪くなるような風通しが悪い付き合いにならないように。
友人・知人とも、言い合える関係で居たいですね。
相手の事を考えて、敢えて何もせず見守るという善意もあるのだろうと思います。
ちなみに・・・母の千羽鶴、、、結局途中で面倒くさくなって未完のまま終了です(笑)。
そりゃそうよ、自分の家に飾る気もサラサラないし、気まぐれで始めた折り鶴ですからね。
そして私の夏野菜シーズンは終わり、そろそろ畑は秋の植え替えの準備に入ります。
冬に向けて、じゃがいも、大根、カブ・・・また次の楽しみへ。