ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

「どうせ」とか「ただの」とか・・・

「どうせ、コレさ、セールで衝動買いしたTシャツだし」

「ただの100個入りの安い紅茶のティーバックだしさ」

 

・・・そんな言葉がつい口から出ちゃう、モノに対してレスペクトしてない感が丸出しの言葉たち。

ちょっと反省しております (´・ω・)

 

モノに罪は無いのです。

価値に上下も無いのです。

 

それを勝手に「どうせ」だの「ただの」と、言葉をつけて格下げしているのは、、、自分ですね。

 

そういう気持ちを内包したまま接していると、どうしても雑な扱いになります・・・。

あんまり出番がないTシャツも「どうせ安かったから、買ったんだし・・・」って、ポイっ (←こら)

「仕方ない、ただの安い紅茶だから」とちょっと飲んで、結局ほとんど残して捨てたり。

 

そういう「どうせ」や「ただの」アイテムが多ければ多いほど。。。モノがあるのに満たされてない感覚があります。

洋服がクローゼットに沢山あるのに・・・着たい服がないという女子あるある、、、みたいなもんです。

 

ちょっとずつ「何か違う」というアイテムばかりが集まっているので、心も曇りがち。

断捨離ブーム有名になった、こんまりさんの「トキメくか?トキメかないか?」という判断基準だったら、、、家のモノが一掃されてしまいそうです。

 

いや、本来はそうやってモノが減らせれば・・・幸せなのだろうな~。

 

年齢が上がるにつれ、そんなにモノの数は要らないのですよ。

食器も服も靴も・・・普段は決まったものしか使わなくなるのですね。

セールや旅行の高揚感でつい買ってしまったものは、、、奥の方で眠っています。

 

モノよりも感覚を豊かにするものに、お金のかけ方をシフトした方が良さそうです。

 

味覚、触覚、嗅覚・・等々、モノとして後には残らないけれど、脳内に感覚として残る幸せ。

いつもよりもちょっと美味しい紅茶だったり

肌触りがよいタオルだったり

落ち着く香りのお香だったり

 

単価としたら、実はそんなに高いものではないのですが、、、ついつい(貧乏性なんでっ)「ま、自分用は安い方で良いか・・・」といい加減に選んだいたおかげで、いつも横目で見つつ諦めていた、ちょっとご褒美のアイテム。

 

セールで無駄な衝動買いをするお金の方がよっぽど・・・捨て銭。

1000円のTシャツを買って使わないくらいならば・・・レディグレイの紅茶がいつもの安い紅茶より200円割高でも、、、お釣りがくるわ (‘ω’)

(私の本来のお気に入りの紅茶です♡)

同じように・・・100均でもお香は買えますが、お気に入りの松栄堂鳩居堂のお香にしています。

やっぱり満足度が違うのですよ・・・オホホ~ (^ム^)

香りの質と広がり方は、、やっぱり専門のお店じゃないと、ね。

 

普段の生活から、少しずつ「どうせ」とか、「ただの」と思っているモノを減らしていくよう頑張ってみようと思います。

モノに対して失礼よね・・・そもそも。

もし自分が誰かから「どうせ〇〇(←自分の名前)だから」とか「ただの〇〇だし」と言われていたら、、、ちょっと嫌かも。

 

だから、モノにもちゃんとレスペクト♡

 

きっと、そんな「どうせ」や「だだの」のモノに囲まれていたら、自分自体もそんな存在だと刷り込まれてしまいそうだわ。

本当は、一人一人・・・スペシャルなオーダーメイドの逸品ですもんね。