嫉妬という・・・厄介な感情は、なかなか面白いですね。
嫉妬するという事は、自分も「持てるかもしれないけど、持ってない」ものがある相手に抱く感情だそうです。
確かにな・・・一般ピーポーはイチローさんやら、大谷選手に嫉妬する事は無いですもんね。
「持てるかもしれない」というレベルじゃないから。
ヨーガの哲学を学んで、パタンジャリに嫉妬したという人も聴いた事ありません(笑)。
もっと近い、同じようなレベル(と思われる)対象の相手にしか抱かない感情なのね。
アシュタンガのプラクティショナーであれば、プラクティショナー同士だったり、先生同士というのもあるかもしれないです。
嫉妬がモチベーションなって、深く探求することで自分の内側の色々に気づけたり、前進する力になれば良いのですが、ネガティブな感情が生まれてしまうのが・・・人間ですよ。
「あの人は自分より早く出世した」
「あの人はいつもオイシイところを持っていく」
外側に意識が向いているうちは、内側の探求にはつながってこないのかもしれませんね。
飲み屋で仲間同士クダ巻いて愚痴っている状態ですよ。
なぜその人は自分より早く出世したのか、オイシイところを持っていけるか、、、なぜそう自分が思うのか、、、。
そこに気づけるかが重要だったりするのかもしれません。(それが難しいっちゅうねん)
その人と同じになりたいのか?
それが自分にとっての幸せなのか?
難しい問いですよね。
私の好きなNHKの「72時間」というドキュメンタリー番組で、心に残る言葉がありました。
都内の美術大学のお祭りに密着した回でした。
美術が好きで、美術の神に愛された人達・・・卒業したら芸術の道に進むのだろうと思っていたら、そうでもないようです。
ま、確かに卒業生全員が芸術家になれる事はなく、シビアな世界でもあろうとは思います。
ただ、卒業を控え就職を考えている女性が、自分の作品に対する気持ちとは別に、冷静に「全員が芸術家を目指す必要もないし、今自分が出来る事をやるだけです」とコメントしていました。
芸術家になりたいか?
それが自分の幸せなのか?
・・・その答えを(そんな若さで!)自分でみつけられた女性なのでしょうね。
自分なりの美術の愛し方をすれば良い訳で、一般に認められたい訳でも、有名になりたい訳でもない。
若い頃の自分と比べてみました。
私が同年代の頃は、(まだバブルのニオイが少し残る昭和)、学校を卒業したら有名企業に就職するのがゴール。
自分のなりたいもの
自分の幸せ
・・・そんなもの考えず、世間一般の基準で、当たり前に良い・悪いを判断していたような気がします。
そう思うと、自分にとっての美術・芸術というものを捉えながら現実を生きる彼女が、すごく成熟して見えました。
恐らく、同級生では芸術家を目指したり、経験を積める職種で就職を目指す人も多い中で、淡々と自分の道を行く彼女がカッコよく映りました。
シャラ―ト師のオンラインLEDの後のカンファレンスのQ&Aでも、「練習生は先生を目指すべきなのか?」という問いに対し、「全然そんな事はない、全員が先生になる必要はない」とおっしゃっていました。
先生になりたい人は目指せば良いし、練習をしたい人はそのまま続ければ良いし・・・。
自分だけのアシュタンガの幸せは、人それぞれ。
スタジオでマットを並べて練習していても、それぞれのアシュタンガの幸せは違うでしょう。
先生になって教えたいと思っている人もいれば
サードまで進んでガンガンやりたい人もいれば
プライマリーを毎日ひたすら練習したい人もいれば
週1回しかスタジオに来れないけど、それをモチベーションに家事育児を頑張れる人もいれば
・・・私のように、ライフワークとして細く長く続けたい人もいる。
確かに「ジャンプバックがカッコいい人」や、「柔軟でアーサナが美しい人」は憧れますが、それは嫉妬ではありません。
イチローさんや大谷選手に抱く憧れの感情と一緒です。
自分にとっての幸せや豊かさを理解できていれば、嫉妬という感情はコントロールできるのかもしれませんね~。
そして・・・嫉妬を感じた場合は「もしかして、同じモノを自分も持てる可能性があるってこと??」と自分のポテンシャルに期待できちゃうかもしれないですよ ♪
私は「私なりのアシュタンガ」模索中ですよ。
先生になりたい訳でも、アーサナをどんどん進みたい訳でもないですからね、、、淡々と日々ライフワークとして構築していくだけですけどね。
憧れは数多いですよ。
私の周りは、イチローさんや大谷選手ぐらい凄いプラクティショナーの方々が沢山いますからね~。(完全に目の保養(笑))
ただ・・・嫉妬が無いという事は・・・眠る私の荒ぶるポテンシャルよ・・・ドコへ行ったのだ (‘ω’)
ま、心穏やかにプラクティス出来るから、、、それはそれで良いのかな?
(もっと頑張れや、、、という声が聞こえなくもない(笑))