ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

世界は広い

ちょっと出かけた房総半島、途中に山の上の展望台に立ち寄りました。

山の上に立っているソレは、たどり着くまで木々に覆われた長い階段の坂道が続きます。(苦行ぞよ)

 

展望台に着いた途端、視野が広がり目の前の海と水平線と遠くの山々や町まで見下ろせます。

報われた気分 (・´з`・)

 

ワタシが到着した直後、家族連れがやってきました。

すると、小学生ぐらいの男の子が展望台で「お~!!!!世界は広いな~!!!」と感嘆の声をあげてました。

「〇〇(弟)、すげーぞ、世界広いぞ!。お父さん、見て見て!!世界って広いんだな~!」

 

・・・いやいや、世界ってさぁ。

ヒネくれた根性の大人のワタシは、思わず心の中で「いやいや、それ房総の海だから」(笑)と、ちょっと吹いてしましました。

 

見えている景色は同じなのだけど、その男の子にとっては「世界」であり、私には「房総の海」。

 

房総の海を見て「世界だ!」と言える純粋な心が羨ましくもあります。

その少年にとっては初めての地平線に広がる海の景色だったのでしょう。

ワクワクするし、ドキドキする世界。

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大人になって、海外へ行ったり違う文化に触れたら、あっという間に「房総の海」になっちゃうから。

今のうちにこの感動を味わっておけよ、少年よ・・・(と偉そうに(笑)思ったのでした)

 

経験や知識によって、見えているモノが同じでも、それは別世界なのですね。

 

ヨガだって、そうだった。

最初は巷のヨガクラスでイントラの指示のまま一生懸命ポーズをとって、最後に仰向けでお休みした時、「おー、コレがヨガか!!!」と思っていました。

もちろん神様だって、哲学だって、そんなものは触れ合う前の事。

ワタシに取ってのヨガはトリコナだったり、太陽礼拝だった。

今はまだまだ入り口でウダウダしてるけど、哲学などを学び少しだけ深まりました。

 

「コレがヨガか!」と思っていたのも、確かにヨガだけど、ヨガじゃなかった・・・みたいな。

 

きっと更に勉強を深めると、また今自分が思っている「ヨガ」がヨガじゃなかったりするのでしょう。

 

でも、その時その瞬間に感じる「コレがヨガか!」の新鮮でキラキラした感覚も忘れないでおこうと思っています。

そういう感性って大切なんですよね。

きっとその瞬間の気持ちって戻って来ないから・・・・。

 

そして、個々の「お~!これが〇〇か!!」の感動の瞬間も大切にしてあげたいな・・・と思います。

「いや、そうじゃないし」と否定するのは簡単ですが、感動の瞬間って人生にそんなにある訳じゃない。

 

展望台で出会った少年にとっては、房総からの海の眺めは初めての“世界”。

日本だし、千葉だし・・・。

でも、彼がこの海を見て「世界」を感じたのは事実。

 

大人になってハワイとか行ったら、もうこの感動は無いのよ(笑)。

アフリカや紛争や貧困の地域の世界を見たら、きっと房総の海を見て「世界だ」と思ったことなど、吹っ飛んでしまうかもしれない。

 

私も始めてのトリコナで「コレがヨガか~!」と思っていた自分を忘れずに、精進をしていかなくちゃね。

身体が硬くて前の足の膝を曲げないと胸が開かなかったよ (‘ω’)。

あの頃はあの頃で、あの「ヨガ」が楽しくてしょうがなかったのよ。

それは大切な記憶と思い出。

それがあっての、、、今だもの。