地元の区の施設でトルコ映画祭という企画があり、フラッと出かけて猫映画を観てきました。
『猫がおしえてくれたこと』(2017年公開 トルコ)
イスタンブールの猫ちゃん達の日々を追ったドキュメンタリー。
トルコって地域猫(?)が多いそうです。
野良猫として、外で逞しく生きて行く猫ちゃん達。
古い街並みが猫に合いますね。
街に暮らす人々も猫を当たり前に受け入れて、上手く暮らしている様子です。
公開が2017年なので、コロナ前に作成・上映されたので、人々も猫も密接に生きています。
東京でコレやったら、炎上するような事も・・・ホノボノとした日常として描かれていました (苦笑)。
港の漁師たちは、道端で素手で魚を捌いて、余った魚は猫にポイっと投げたり、道端に海鳥の餌としてばらまいたり。
魚も外のオープンスペースで売られ、規格外の魚を猫にあげてました。
街中でもお店の猫の出入りを自由にしているところも多く、カフェ等もお客さんが食べ物をあげるのもOK。
野良猫の餌場を周って、餌を撒く地元住人たちもいました。
(最近は東京では、道路に餌撒きをする人は迷惑行為とみなされる事が多いですね)
割と人々もおおらかで、勝手に猫が店内に入って来ても気にせず放っておく感じ。
逆に姿を見せないと寂しくて心配になるよーと言って、可愛がっている様子。
猫もお店内で邪魔にならないようにしているようで・・・また和みます。
と言って、飼い猫として囲わないのです・・・猫が望まないのを知っているのでしょうね。
人々も猫の自由を権利として尊重している感じでした。
猫としてはストレスもなく幸せな環境なのかもしれません。
その位肩の力を抜いたノンビリとお互いを気遣う文化も憧れますね。
人間の都合より、猫の都合に合わせてあげる感じ。
1分電車が遅れるだけでイライラする東京人のアタクシにとっては、時間と心の余裕っちゅうもんを感じます・・・(‘ω’)
しかしながら・・・イスタンブールの猫ちゃん達は去勢されてない様子でした。
そして外で自由に暮らしています。
お腹がすくと、餌をくれる人が現れたり、餌場には誰かが置いたご飯があります。
このまま更に頭数が増え過ぎてしまった時に、人間はそれでも上手に付き合って行けるのだろうか、、、。
「可愛いから」「可哀そうだから」というだけで、無責任な行為ともとられる一面も感じます。
昔は割と地域猫は東京でも見ましたが、今は状況が変わり「家猫」にしてあげるのが良いそうです。
大きな理由はマダニの被害と、生態系へ影響が考えられるらしいです。
マダニは猫の生命も人間の生命も危険にさらしますので・・・特に気を付けたいですね。
そしてあまり数が増え過ぎないように、サポート団体が猫ちゃん達を去勢してコントロールしています。
その分、今居る猫ちゃんたちへ手厚いサポートが出来る訳です。
おかげで、、、猫の寿命は延びてますよ!
ただ、映画の中の言葉で心に残る一文がありました。
「家猫にはしないのです。そうすると、猫の「猫らしさ」が失われてしまうから」と。
猫は人間ではないのですよ。(当たり前だけど)
イスタンブールの自由で活き活きした姿の猫を見ていると、「本性」という言葉がふと頭に浮かびました。
猫は猫らしく生きるのが幸せであって、人間の思う幸せを押し付けちゃうのはイケないですね。
なので、できれば猫らしく生きて行くためのサポートはしてあげたいと思います・・・。
うちの実家のピース君は今では珍しい地域猫(去勢済み)。
ダニ対策でダニ避け首輪をつけています(アレ、効果あるのかな?)
そして、猫として堂々と生きている気がします。
堂々とし過ぎて、最近は恰幅も良くなり、、、ダイエットするべきか?悩ましい。
でも、可愛いから、許す(笑)。
ちなみに映画の中で、子猫の世話をする心優しい漁師の話がありました。
「買ったばかりの漁船を悪天候で失い、途方に暮れていた時に猫のおかげで助かったんだよ。」(そこまではイイ話)
「ずっとニャーとうるさいから近寄ったら、大金が入ったお財布が落ちてたんだよ、助かった。必要な額が入ってたんだ!」(って、オイ!!それはネコババよ)
・・・美談で済まそうとする流れにツッコミを入れました。
猫のおかげでって・・・苦笑。