ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

選択の自由って

上野動物園の双子パンダ シャオシャオとレイレイの観覧抽選が当たりました!(アイカタがね)、早速見てきました。

ずっとコロナで閉園していたので、抽選も激戦でした。

私は全日程ハズレ・・・。

イカタが持ってる人で良かった。

 

残念ながら観覧指定時間、ず~~~っと2頭とも木の上で寝てました、、(苦笑)

じゃれ合う姿や、動く姿は全く見れず、小さく丸まって眠る可愛い後姿を眺めるのみでしたが、癒されましたよ。

母パンダは元気に竹をムシャムシャ食べ、ほのぼのとした時間。

観覧人数も沢山いて、1分ずつ場所を移動して分3分ぐらいで終わってしまいましたが・・・小さい可愛い姿を見れ、幸せのひと時でした。

(奥の木の上にいるオニギリみたいなのがシャオシャオとレイレイです)

 

その後、落ち着いて園内の他の動物を色々ゆっくり見て、白熊やカバ、キリンなど王道を楽しみ、桜の満開と重なり上野遠足大成功となりました。

 

・・・単純にそこまではルンルンでテンションはマックス (^ム^)

頭もお花畑で、春のウキウキを全力で満喫。

 

しかしながら・・・ふとウクライナのニュースなどを見て、自由ってなんだろな・・・と思ったら複雑な気持ちになりました。

ウクライナの方々は「ソ連時代になんか戻りたくない!」と自国の存続のために戦っています。         

それは、おそらくソ連時代も経験し、独立した今だから・・・固い意志で、自国の誇りを胸に戦えるわけです。

自由や西側の思想など、新しい世界を知ったからこそ、次の世代に引き継ぐために国を守ろうと強く思うのかもしれません。

 

そういう選択肢もなく、外の世界を知らなかったら、、、どうだったんだろうか?などと思いました。

 

上野のパンダさん達は、きっとパンダ舎で守られて、餌を自分で探す必要もなく、他の野生動物とも生き残りをかけて争う事もせず・・・ただ、パンダ舎の世界だけの中で、外の動物の存在すら知らず・・・ずっと生きていくのだなぁ~・・・・。

野生のパンダであれば、山の中を歩いて移動して、自分で餌を確保し、他の動物や自然界の困難に立ち向かっていかなくてはいけないけど・・・自由なんだよな。

 

ある意味、上野のパンダさん達は・・・・選択の自由がない命。

一生を人間の管理の中で生きていくわけです。

(中国に返還後も、定められた自然保護区的なところで管理されるのでしょう)

 

他の動物園の動物達は、一生外の世界を知らずに小さい飼育スペースで生きていく子もいるでしょう・・・・。

 

守られて管理されて、生命の心配なく生きていく方が幸せなのか、野生動物として本能のまま自分の力で生きていく方が幸せなのか。

なかなか難しいテーマでしょうね。

 

実家の居候猫のピースは、家猫ではありません。

小さい頃から外に出さなければ家猫さんになれるようですが、、、日中は外の縄張りを歩き回って、3食のご飯と夜の間だけ実家に戻ります。

外の自由な世界が好きみたい。

母が家猫にしようと頑張って家に閉じ込めようとしたのですが、根負けしたそうです (‘ω’)

 

でも、そういう選択肢をちゃんと与えられている猫で良かった・・・・とも思います。

外の自由と家の安全を知って、どうしたいか自分で選択をしているんですね。

母は大変らしいですけどね 苦笑

 

それぞれ今世のダルマがあるのでしょう。

自然界の野生動物として、自由な反面、弱肉強食の容赦ない世界。

檻の中で人間に管理され、自由は無いけど安全な世界。

だから、どちらが正しいとか間違いでもなく、今世の課題をそれぞれが全うすることが大切なのかもしれません。

 

私自身の野望は・・・来世はパンダに生まれ変わりたいな~と願っているのですが、、、出来れば1回ぐらい上野のパンダとしてのんびり一生を送ってみたいかも 笑。

笹食べてるだけで、人間達は大盛り上がりですよ、ほんと 笑。

 

ウクライナのスポーツ選手がパラリンピックやその他世界大会でも大活躍していますね。

自国が紛争中で、家族や祖国の安全が脅かされている中でも、必死に国のために戦う姿は、おばさん・・・涙なしでは見れません。

戦うと言っても、銃や爆弾でもなく、国の代表として今自分が出来ることを、自国のために精一杯パフォーマンスをする。

葛藤と覚悟。

 

一方・・・パンダ見て、単純にワーキャー言っている自分の環境がなんと幸せ過ぎる事か・・・

浮つきがちな春だけど(笑)、世界の負の側面にも目を向けて、世の中をしっかり生きていかねば、、、。

同じ地球上の人間のことなのに、私の浮かれポンチなお花畑の頭よ、、、一旦反省。

カルマで・・・来世は上野パンダに生まれ変われないかもしれない。 (←こら)

 

自由のため、祖国のために戦うって、今の日本に住んでいると・・・自分事として考える事が難しい気もします。

でも世界の中では現実として命をかけて戦っているんです。

はて、自分は・・・もし東京が日本から国として独立を目指したら、、、命を懸けて戦えるかな?

…無理だ。

今の日本が十分幸せで、独立をしてまで勝ち取るべきモノが見当たらない・・・。

 

命を懸けるほどの自由っていうものが、今自分には当たり前にあることに感謝しないといけないですね。

 

そして選択がある自由って、本当はすごく贅沢な事なのですよね。

 

朝プラクティスをする自由があって、マットに立ってる訳です。

戦争なんかしていたら、無理ですよ。

スタジオ行こうかな~、家でまったりやろうかな~の自由。

プライマリーまでにしようかな、フルプラクティスまで行こうかな。

全部贅沢な自由・・・だからこそ、ちゃんと自分の意志で選ばないと、、、バチが当たる。