冷静に楽観するタイプ。
年々そんな傾向が強くなってきています。
家の鍵を無くした!(と思った)。
休みの日、朝練&カフェで朝食後、実家へ向う途中駅で、何となくポケットを確認したら、無い。
スタジオやカフェ、電車の落し物センター、全部調べたけれど、「該当なし」。
あ~あ、やっちまった・・・。(と思った)。
道で落としたか・・・(´・ω・`)
心配するので母には言えず、実家では平静を装う1日。
「まぁ~、鍵で良かった、、、な」
「疲れてるから、身の回りの品に気を付けなさいってサインね」
最終的には、ありました。失くしてなかった。
結局、、、家の違うバックへ自分でポイっと入れてしまっていたのでした。
バカねぇ。家に帰って念のため、、、と思って開けたら入ってました。
よくもまぁ、鍵を失くしたのに、ど~んと構えていられたもんだ。
財布ならこんな呑気な事言ってられないけどね、鍵で良かったよ、ホント。
(若い時財布失くした時は、暫く立ち直れなかった・・・)
多分、失くした状況を上手く自分で受け入れられたのだと思う。
「仕方がない」
そして、冷静に実害や再発行手続きを確認できたのでした。
名前、住所等記載ないから、道で拾われても実害無し。
予備の鍵も家にあるし・・・と。
やや、アホなくらい、そ~ゆ~楽観的なところがアシュタンガに合っているのでしょうね。
多少ケガしても「このくらいのケガで良かった」
出来ないアーサナも「出来ないけど、なんか楽しいし」
夜明け前起床&練習後出勤も「アラフィフなのに、私、ヤンチャね」
食べ過ぎた翌日練習も「おぇ、出てきそう アハハ(笑ってごまかす)」
あまり悲観的な考えに向かないのよね。
「どうにかなる」「どうにかならなくても、多分生きてはいける」
そういう楽観的なところが奥底に潜んでるんですよ。
それが練習では大切なのかも。
多分ヨガのおかげ。
Point of view
コップ半分の水を「まだ半分もある」か?「半分しかない」か?
水の量は一緒だけれど、受け取り方次第で思考が変わります。
Govinda先生からも同じような考え方を言われました。
練習始まる前に「あの~、左股関節がちょっと・・・」って申告したとき。
先生、「大丈夫!」「それはギフトだと思いなさい」
「プロブレム、、、なんて考えたら、その思考に支配されてしまうでしょ」
そうだった・・・この先生にはケガは通用しないのだ 笑
(でも絶妙に手加減してくれる)。
故障もギフトだと思うと、身体を大切に扱って動けるのよ。不思議。
ま、そうなのよ・・・多少制限があっても練習できるんだよね、感謝ですよ。