昨日のラグビー、日本vs南アフリカ、残念ながら日本は負けてしまいました。
試合が終わればノーサイド、お互いを称え、悔いのない試合だったと思います。
最後は笑顔で写真撮影したり、やり終えた素晴らしい笑顔が溢れてました。
ラグビーやメジャーリーグの応援をTVで見ると、観客も楽しそう。
観客がカメラに映し出されると、大声だしたり、立ち上がり盛り上がってる。
手造りプラカードや、仮装等、個々にゲームを楽しんでる感じ。
ラグビーではホーム/アウェイ、観客席もエリア分けされていないみたい。
なんかそれぞれが、自由。
その代わり、個々にモラルを守らないと、不快な思いをする人もいるかも。
一方、日本のプロ野球、サッカー、バレーボールの観客、統率の応援。
応援団が仕切り、歌詞、振り付け、タイミング全部決まってる。
最後まで皆で連帯感、身を尽くしチームを必死に応援している感じ。
グループ一体で、パフォーマンスしてるみたいにも見えます。
その代わり誰かがスタンドプレーで迷惑かける事も無く、マナーは徹底するし。
入っちゃえば家族みたいな感じかもだけど、、、それまでのハードルが高そう。
どちらが良い悪いという話ではありません。
それぞれ特色があって、どちらも心からの声援には間違いないです。
個々に自由にやるのも楽しいし、
グループで一緒にやるのも楽しいし。
そしてどちらも選手にとっては力強い。
さて、私は、、、えへへ、絶対的に個々で応援しちゃう人です。
ホントねぇ、年々、グループで連帯感で一丸でとか、、、苦手になってきちゃったかも。
身勝手なオバサンになったもんだ。(笑)
若い頃は、いつものメンバーでご飯、おしゃべり、お出かけが当たり前だった。
その分、判断も結果も全部が連帯という安心感もあったような。
学校、部活、同期・・・仲間に入ってないとやっていけない世界だったからね。
“群れ”として“一緒”が大切だった時代。
最近そういう人付き合いも変わってきつつあります。
ま、もぉ45歳・・・いつまでも女子グループってのも変だものね。
“個の尊重”を互いに認め合える付き合いになりつつあります。
「私は右の△を取りに行きます。行きたければご一緒に。でも左の□へ行きたいならどうぞ、またどこかの道で会いましょう」。
左の□へ行きたければ「そうね、ではまたどこかで~!」とサッパリ言い合えるような関係。
これ、気づかいの人が一緒だったら、甚だ迷惑な状況だよね。可愛げのないオバサンだこと。
私の周りも同じくらい身勝手な人達でありますように。(苦笑)。
アシュタンガかなぁ~。
自由でいるためには、自分が強くなくちゃいけない。
そんな強さをちょっとだけ手に入れつつあるのかも。
日々マットに立って黙々とプラクティスを重ねるうちに、内側の強さが育ってきたかな?
一緒にスタジオに通う人たちとのコミュニケーションは癒し。
でも実際マットに立てば一人、自分との葛藤になります。
心と体と向き合い、エゴや、気づきや、喜びも悲しみも一人で味わい、受け入れていく。
そんな日々はまさに鍛錬。カッコいい事言うなぁ~、自分。
そうやって心も鍛えられたから、一人でも大丈夫と思える自信にもなる。
一緒に行く人がいれば、更に楽しいけどね、自分が我慢してまでは同調しない。
今はさ、スマホもあるから、一人時間を過ごすのも案外大丈夫。
サッカーの応援団、試合中ず~っと皆んなジャンプしてるのね・・・。
体力的にもムリです、足つりそう。
野球の応援団だって、楽器の人は試合を見れてないんじゃない?
それが応援チームへの愛なのね。それはそれはスゴイことです。
私は入場料だって払ってるし、好きなようにゲーム楽しみたい。
席に座って、お菓子やアイス食べて(ビールは飲めない)気ままに応援。
ウエーブ来たら、「うぇ~い」って、たまに乗っかるくらいが丁度いいかな。
昔の“群”の私が、今の“個”の私を見たら、面倒臭いだろうけど、その強さに嫉妬するな。
アシュタンガ、一杯気づきや強さを与えてくれる、頼もしい相棒さんです。