ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

あの時左の道を選んだ自分は?

読書の秋なんて体裁の良い事言ってますが、、、まだまだ残暑が厳しく外に出る気がしない。

(ヘタレなアシュタンギーニ (‘ω’))

かと言って、TVつけてもコロナか内閣か(←もう飽きた)

で、消去法で図書館で本を借りて読んでいます (*’▽’)

 

何人か好きな作家さんが居て、いつ読んでも面白いな~と思いつつ、今の自分と重なる事もあってドキっとする。

 

角田光代さんもそんな好きな一人。

年齢も割と近いせいか、感情や思いがシンクロするような言葉が出てきます。

 

彼女の小説に「あの時違う道へ進んだ自分は今頃どうしているだろう?」という問いがありました。

過去の人生の分かれ道の時に、選んだ選択肢ではない方へ進んだ、もう一人の自分の別の人生。

 

40歳過ぎるとそんな事も考えるんですよっ。

 

あの時、今の会社に就職出来てなかったら、今頃どこかのスーパーでパートしてるかな?

今の会社に就職できたことで、職場近くのヨガスタジオに行き、RYTを取得して、アシュタンガに出会ったんだった。

あの時、違う道に進んでいたら、、、その私は今頃どうしているだろうか?

ヨガにも出逢わず、何か別のモノに夢中になっていただろうか?

案外・・・韓流ドラマにはまってたり ( ;∀;)

 

遊び半分で始めたアシュタンガを一度ちゃんとやってみようと、Practice渋谷のビギナー10回券を買った私。

あの時、そうしてなかったら。

果たして今もヨガを続けていただろうか?

 

もう一方の道へ進んだ自分は、今頃何をしているのだろうなぁ~。

今の自分より幸せだっただろうか?

知る由もないけど 笑。

 

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人生には「あの時、こっちを選んだ」から今の自分がいる・・・と思う岐路がいくつかあります。

思い返せば、、、って事が多いけどね。

その時には必死だったり、何も考えてないまま選んだ時もあるし。

その岐路の分、「あの時、もう一方の道を進んだ自分」が居るような気がします。

46年も生きてれば沢山の岐路があって、分身の術じゃないけど、その数の “もう一方の自分”が居るんだろうな。

その「もう一方の自分」もそのまま人生が続いていて、全然違う歴史を刻むのでしょう。

会ってみたいような、みたくないような (怖いもの見たさ (‘ω’) )

 

ただ、あの時コッチを選んだ自分に悔いがないようにしないとね。

だってその時の岐路には戻れないからさっ。

こっちで良かったんだって思えるように頑張らないといかんね。

 

ライバルは「あの時左の道を選んだ自分」。

それより今の自分が幸せでありたい。

どっかで答え合わせしたいもんだ。