コロナでストレスが溜まってますよね、世の中のほとんど。
私だって、ず~っと旅行や友達との集まりが出来なくて、残念に思いますもん。
ストレスは目に見えない、蓄積しても分かりにくいので、いつの間にか一杯になっている事があります。
気付かぬうちに思考がトゲトゲ、キツい言葉、自分勝手な行動。
相手があれば、トゲとトゲがぶつかってエゴの通し合いになることも。
分かります・・・(シミジミ (*‘ω‘ *))
だって、人間だもん。
週末のリラックスTVタイム。
たまたま断捨離の番組を見ました。
片づけに困ったご家族に、断捨離のプロがアドバイスをして解決するという趣旨でした。
なるほど、エゴを通そうとするとストレスが溜まる、、、の実例でした。
見た回は、2家族の家の断捨離についてのお話。
一つは引っ越した途端、義母から巨大な立派過ぎる7段飾りのひな人形が送られてきて困っている家族。
もう一つは、同居している実父の物が多すぎてどうにかしたいと憤る娘と母親。
断捨離の番組だし、アドバイザーは「処分」って言うのかと思ったら、真逆でした。
ひな人形は、一度ちゃんと出して見て見ましょう。
飾って眺めるという心の余裕を持ちなさい、というメッセージかもしれませんよ、と。
義父の荷物も部屋も「そのままにしてあげましょう」
布団がリビングに置きっぱなしでストレスならば、日中は収納できるスペースを作りましょう、と。
どちらも依頼者が期待した答えではありませんでした。
逆に、相手側の価値観を理解して一回受け入れてみましょう、という提案。
結果、ひな人形は箱から出して組み立てたら、なんだか気に入って、逆にそれ以外の物を片づけてひな飾り部屋に。
実父の荷物も、意見を受け入れたことで実父も軟化し、お互いが協力して妥協できる点をみつけられました。
依頼者の価値観のみで、イヤだ、ダメだ、間違ってる・・・と言い続けていたら、この展開はなかっただろうな。
相手の価値観を尊重した結果、新しい扉が開かれたのだと思います。
片付けのプロとしてではなく、物事の本質を捉えた大岡裁き!
自分とは違う価値観に出会った時に、拒否や否定して、自分の正しさを通そうとしてしまう。
でも相手の価値観を理解することで、見えていなかった新しい道が生まれる。
同意しなくても良いのです、理解して一回受け取ってあげる。
キャッチボール。
自分のミットの位置に来るボールだけをキャッチして、ちょっと外れたら取らなかったり、気に入らないと故意に避けたらキャッチボールはできません。
遠いところに球がきたら、自分が一歩動いて手を伸ばしてキャッチする。
また自分が投げた球も、相手が手を伸ばしてキャッチしてくれる。
全く自分と同じ価値観の人なんて、居ないのですよ・・・。
合わないから相手がオカシイ、間違ってるって、、、なんか違う気がするのです。
相手の立ち位置から見ると、違う景色が見えているのかも。
本当は自分の価値観が正しい訳でもないのですよね。
だからこそ、一旦相手の価値観を受け取って、見てみる。
自分の価値観を相手に共有してみる。
そこから新しい扉が開かれることもあるのでしょう。
ストレスを溜めない、という事はそういう柔軟な心の賜物かもしれませんね。
エゴを通そうとするからストレスが溜まるのかもしれません。
自分と意見が違った人がいても、好きにならなくても良いから、理解するという気持ちを持つのは大切なのかも、特にこのような世の中がストレスだらけの時こそ・・・ね。
また年齢を重ねるとね、自分の価値観で作られた固定観念が強くなります。
「〇〇べき」「〇〇が当然」という言葉を一回飲み込んで、「△△も、そうかもね」「▢▢も分からなくもない」と置き換えてみることも大切な気がしています。
やってみたら、「あら、こっちも案外良いかも♪」と思う事もありますからねぇ。
老害なんて悲しいじゃない・・・。歳をとるのが嫌になっちゃうから。
若返る事は出来なくても、柔軟な頭になろうとする事ならば出来そうな気がします。
UFOだって、宇宙人だって、ビックフットも、ネス湖のネッシーも・・・居たら楽しいじゃない (*’▽’)
トーストに納豆を乗せて食べるなんて、、、と思ってたけど、今ではお気に入りの一品です。
そんなもんよね、固定観念なんて。
たまには忘れてみましょう~ 笑。