ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

自分の眼鏡を通してみる世界 

私は視力が悪いのですが・・裸眼で生活しています。

毎年の健康診断で視力が0.4とか0.5とか言われますけど、、、運転しないし、ボンヤリの視界であっても、、、支障なし(笑)。

せいぜい、電車乗るときに電子掲示板が見にくいな・・・ぐらいです (‘ω’)

 

ですが、IDとして保有している(←コラ)、免許更新の時だけ眼鏡を新調して更新しています。

眼鏡ってすごいですね、、、かけるだけで全部キラキラ細部まで見えてしまうのですよ。

輪郭がボンヤリしていた世界が、一気に鮮明になる衝撃。

いきなり世界が変わった気がします。

しかもサングラスを兼ねた色付きの眼鏡などもあって、眼鏡業界もすごいですね。

 

実は人々、フィルターという眼鏡をかけて世の中を見ている・・・。(ヨガの話になります)

例えば、落ち込んでいる時・・・楽しそうにワイワイやっている人を見ると「うるさいな~、静かにしてよ」と勝手にイライラしたり。

逆に良いことが合ってウキウキしている時は、「わ~♡あの人たちも楽しそう。世界は幸せだな~」と共感したり。

 

自分の心模様のフィルター、経験のフィルター、思考の癖のフィルター・・・色々な色眼鏡を通して世の中を見ています。

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人それぞれが同じものを見ても、同じように感じている訳ではないのですよね。

そして自分のフィルターを通している見ている世界・・・本当の姿ではないかもしれませんヨ。

自分が青いサングラスをかけていたら、、、、白い物も青く見えるでしょ(笑)

ヨガの教えは、まずその事実を知って、フィルターを取る(=プルシャとなる)を目指すものだと記されているようです。

(すんごいザックリと要約しており、諸説あるかもですけど)

 

自分のフィルターも、ずっと同じではありません。

10代の頃と40代の今じゃ・・・見方も変わるでしょ。

アラフィフの今は・・・10代の頃はあんなに行きたかった渋谷・・・怖いもんっ 笑。

逆に今、アラフィフになったから分かる事もあります。おせんべい、おいしい。

 

みんなそれぞれの眼鏡を通して見えている世界が違うのです。

 

それを相手の眼鏡が間違ってるだとか、自分の眼鏡が全部正しいとか、、、正解分からないですよね。

Point of Viewが違うだけ。

 

以前RYTの授業中での話を思い出します。

「電車に乗り合わせた父と幼い子がいました。子供はハイテンションで大声をあげて電車内を走ったり椅子に登ったりしていますが、父親は無関心で注意すらせず、一人座って下を向いています」

第一印象は・・・「ヒドイ父親だな・・・子供にマナーを教えないで放っておくなんて、周りも迷惑だ」 (‘ω’)

(話の続きがあります)

「実は、その子の母親が突然亡くなり、病院の帰りだったそうです。子供は動揺して感情が高ぶっていて、父親も呆然として悲しみに打ちひしがれている姿でした」

すると今度は「そりゃ子供も動揺するし、可哀そうだよね。感情の発し方が分からないだろうし、そっとしておこう。父親もこれから大変なんだろうな~・・・」と、さっきのヒドイ父子の印象が一気に変わります。

 

フィルターなんて・・・そのくらい変わるのですよ。

 

今のアラフィフの私には、10代の若者の気持ちなんぞ、分かりません・・・

逆もそうでしょう。(ただのオバサンぐらいでしょうし)

10代の自分のやらかしたこと・・・今の自分が思えば恥ずかしい限りです(笑)。

 

共感は出来なくても「あ、きっとアノ人はアノ人なりのフィルター眼鏡で見えているのね」と思って、自分と違くても否定をしない。

自分のかけているフィルター眼鏡だって、それがちゃんと正しい姿で見えているとも限らない。

他人の眼鏡がどう見えているか、、、ちょっと想像したり話してみると、モノの見方が豊かになるかもしれません。

 

普段の私の裸眼なんて・・・・全部ボンヤリですからっ。

老眼もあるんで、近くの文字を見るときだけは遠距離です(笑)

 

自分の見えてるものが正解なんて思っちゃいませんよ・・・輪郭全部モヤモヤしたままです。

そのくらいがちょうど良いのかもしれませんね。

 

若い時は、近眼は老眼になったらチャラになる・・・と思ってました。

ならないよ・・・苦笑。