ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

どうでもいい人?

こんな記事にハッとしました。

 

「洋服でも身の回りの物でも、「どうでも良い」アイテムに囲まれていると、そのうち自分自身の価値を低く見て、自信が持てない人になる」

 

例えば、

「あんまり好きじゃないけど、いいか、コレで」

「ダサイけど、安かったし。とりあえずあるから着よう」

そんな事ばかり続けていると、無意識のうちに自分を「どうでも良いもので済ませるほどの価値しかない」と刷り込みをしてしまうそうです。

それが段々と、“どうせ自分なんてさ・・・”と自信がなく、自分自身を卑下した人格を作り出してしまう。

 

きっと・・・親が生んでくれた時は「唯一無二の大切な」一番愛おしい存在だったはず。

勝手に格下げするなんて、モッタイナイぞ。

 

自分自身で、自分の事を誰よりも大切にしてあげないとね。

 

これ、人間関係でも同じような事が言えるのではないかな~とボンヤリ考えています。

そしてお試し中。

上下関係があからさまでもないし、マウンティングされる訳でもないけど・・・・

お互いに同じ距離感でお付き合いが出来ているのだろうか?と立ち止まってみました。

 

私が友人と呼べる人はとても少ないです(笑)。

なので大切にしています。

が・・・気が付くと、私から会おうと連絡をしない限り、なんの音沙汰も無い人たちがいます。

アチラからは一度もメールとかお誘いが無い事に気が付きました。(‘Д’)

でも毎回「いつも誘ってくれるから助かる~」と言います。

 

それってオカシクないか??

 

待っているだけの人たち・・・本当に私が思うほど友達と思ってくれているのだろうか?

会いたいなら、会いたいと言ってくれる方が良い。(私はそっち派♡)

 

なんとなく、私から毎回誘って場所も提案して・・・という距離感が、連絡待ちの彼らとは同等とは思えない気がしてきました。

「どうせこんな私なんだから、付き合ってくれる人には全部手配して、調整するのが当たり前」と、無意識のうちに自分自身を卑下している気がするのです。

 

こんなモヤモヤを抱えたままなのもどうよ!?と思って、思案中です。

我慢できずにこちらからまたお誘いするかもしれないし(笑)、ちゃんとお互いに誘い合える関係性になれるかもしれないし。

自分を卑下してまで、いびつな距離感でいるのは止めよう、、、、と。

 

とどのつまり・・・自分をもっと大切にしよう。

 

そして、お互いに「会おうよ!」と気軽に言い合えるような人にならないとね。

関係というのは、双方向で成り立つものですからね。

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な~んて言いつつ、アシュタンガにはツンデレされても許しちゃう♡

お気に入りのウエアで、お高いマットで、毎日のメインイベントのごとく2時間プラクティスしても、、、進展はほぼ無し(笑)。

こんなに愛情とエネルギーを注いでいるのに、まぁ、なんともクールなお方 (‘ω’)

 

とは言え、惚れた弱みよ、、、好きでやっているんだからね。

でも、長い目で見たら相当ヨガの神様に守られていると思うのです。

 

心の成長、更年期との付き合い方、体の不具合の調整、老化と向き合い方・・・多分長期プランで見たらヨガって凄いと思うのですよ。

見えない力でのお導きってところでしょうかねぇ~。

 

こうやってちょいちょい脱皮中なのも、ヨガのおかげなのかもしれないですね。