ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

誰かのためにの前に、自分のために。

ラグビーワールドカップ、盛り上がってますね。

正直、私の周りではそんなに話題になかったけど、、、蓋を開けたら大盛況。

私もにわかファン、日本戦には応援にも熱が入ります。

 

私の中でラグビーと言えば、、、スクール・ウォーズ(知ってる?)

昭和育ち。

弱小の高校ラグビー部が、熱血先生の指導で花園の全国大会出場を果たす青春もの。

合言葉は「One for all, All for one」一人はみんなのために、みんなは一人のために。

 

こういうの、好きなのよ。

自分を犠牲にして、誰かの為に、チームの勝利のために、皆の為に尽くすスピリット。

自己犠牲の精神って、多分DNAレベルで好きなのよ。

江戸時代から赤穂浪士とか、そうじゃん。

 

それが強すぎて、誰かの為になら犠牲になれるけど、自分の為に何かを犠牲にしようとすると罪悪感を感じてしまう。

そういう後ろめたさって、滅私奉公というDNAなのかな、コレも。なんかさ、やっぱり江戸時代だね(笑)。

 

共働きがフツーの社会になっても、主婦としての女性の役割は変わらず、育児、家事、仕事、ほぼワンオペ家庭が未だに多いような気がします。

家族の為、子供の為、ダンナさんの為・・・。一人3役も4役も。

海外は共働きでも、家政婦やナニー、男性の家事参加が当たり前だったしります。

でも、日本では「家事は主婦としての務め」みたいな風潮で、家事の為に人を雇う事にためらいがある。

主婦の務めもしないで仕事なんて・・・とかさ、お姑さんからお小言まで言われそう。

(男性は「お手伝い」や「やらされている感」が全面に出るでしょ、半々の家事分担なんて夢ですよ!)

そのため、特に女性は家庭でも自分の時間が無くなり、視野も狭くなり、限界まで自分を削って頑張ってしまいがち。

 

ほんと、最近ですよね、家事代行サービスが普及し始めたのって。

それでも、やっぱり自分が楽になるためにお金を払ってまで、、、とためらう人も多いと思います。

本当は一杯一杯なのに、自分が楽になるのに罪悪感を感じてしまう。

正直、私もそういうところがあります。

そのお金、家族でお食事や旅行に使った方がいいのかな?とか。

 

でも、最近それを改めました。

自分が幸せでいることが、周りを幸せに出来るコツなのかもと思ったから。

カリカリして、疲れ切って、イライラした自分、、、周りを幸せに出来るかな?

「あれもやらなきゃ、これもしなきゃ」「家族は何もしてくれない」「感謝もしてくれない」

こんな言葉ばかり出てきたら、聞いている方が疲れちゃう。

 

それならば、出来ないものは無理せずに、自分のために、やらない。

多少平日掃除サボって部屋が汚れてきても、片づける余裕がなければその時はPending。

洗濯ものを畳むのが、どうしても疲れてて億劫な時もPending。

ズボラ、許す。

心の負担が少し減ると、その分心の余裕が産まれます。

 

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(カウアイで泊まったコンドミニアム。シンプルで素敵だった)

 

うちのアイカタさんも大らかな人なので、そのくらいは全然OKらしい。

一人で「やらなきゃ、だらしない!」と思い込んで、自分を責めていたのでした。

自己犠牲も美しいけど、自分も相手もハッピーなのが一番なんじゃないかな。

(我慢強くないの、私)

 

ということで、年末の大掃除、水回りはプロのお任せ。

最近はいろんなところでサービスをやっていて、安いものもありますよ。

1年に1回の自分へのサービス。そのくらい罰は当たらないでしょ。

分担で揉めたり、「やった」「ちゃんと出来ないじゃん」なんて喧嘩も無し。

 

ヨガも自分のため。

まずはヨガを通して自分の幸せに気づく事。

その穏やかな優しい気持ちは、周りに伝染します。

 

自己犠牲で滅私奉公、げっそりして虚ろな目で「周りが幸せなら、それでいいの」な~んて言えないわ、私。

それは自分が本当に幸せ?周りはそんな哀れな姿の自分を見て幸せかな?

 

だったら、豪快に笑って美味しいもの食べて、楽しそうな姿の方が周りを幸せに出来るような気がします。