ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

私の幸せはちょっとずつ誰かの不幸を背負っているかもしれない

「幸せです♡」なんて、芸能人の結婚会見しか聞かないセリフですが・・・。

そのくらい幸せというのは、目に見えなくて、うっかりすると見失うものです。

 

不幸な事があった時に、初めて「今まで幸せだったんだ・・・」と思うもの。

何もなく平穏無事な日常、そんな事が幸せなんですよね、ホントは。

 

道端で犬のウ〇チを踏んでしまった時、「ぐぅっ・・・サイテー、もぉ運悪い (-“-)」と思いますが、踏まなかった時はそこにウ〇チがあることすら気づかない訳ですからね。

 

「うわぁ、ラッキー!」と瞬間的に思う時、

「有名店のどら焼き、最後の1点を買えた!」

「入場整理券、私の後ろで売り切れてた」。

自分、持ってるねぇ~・・・と、人目を憚らずニヤニヤ (・´з`・)。

 

我に返って人目を気にすると・・・どら焼きが売切れでトボトボ帰る人や、ギリギリで整理券を手に入れられなかった人の姿。

勝者と敗者のボーダーライン。

 

自分がラッキーだった分、誰かがアンラッキーになっている。

勝者側に入った自分と、ギリギリ敗者になった人、ほんと偶然の紙一重の差。

入れ替わっていてもおかしくないのですよ。

血の滲むような訓練を積んで、ぶっちぎりで列の先頭でどらやき買ってないし、全てを犠牲にして整理券に並んだ訳でもないし。

 

自分がちょっと幸せになった分、誰かがその分の不幸を味わっている・・・かもしれない。

 

そう思うと、手に入れたちょっとの幸せでも、周りに感謝せずにはいられない。

そしてちょっとの差で手に入れられなかった人の分まで、しっかり謙虚に受け止めなくちゃね。

 

どらやきは、人一倍ありがたく完食しました。

 

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何気ない、何もない日常が、色々な人の幸不幸を織り交ぜて成り立っているのですよ。

ぼーっと生きていられる事のなんと幸せな事か・・・。

 

もし紙一重で敗者側に回った時、自分はどうなんでしょうね。

勝者を恨めしそうに睨みつけるか、地獄へ落ちろと心で罵るか(怖っ ( ゚Д゚) )

 

いや、潔くフェアプレー精神で、勝者を称えて応援してあげたい・・・な。

私の分まで、その美味しいどらやき味わって。

私の分まで、楽しんで。

(↑ちょっと恨めしいコメントだけどね~・・・。)

できるかな・・・(´∀`)。

 

幸せを感じたら、周りの人に感謝する。

運が悪かったら、その分誰かが運が良かったんだな、、、そう、そう、運なのよ。

いつかその運がまた自分に巡ってくるように、恨みっこなし。

そうありたいね。

 

鳥のフンが服に落ちたり、犬のウ〇チを踏んだ時って、逆に「ま、運が付いてるってことで!」って言うじゃん。

 

・・・そんな事言われても、ニオイは臭いんだけどね~。

靴底のニオイは相当落ちないヨ (>_<)。 ま、ずっと運が付いてるって事だ (苦笑)。