私の大好きなアシュタンギーニの大先生、吉川メイ先生のインスタから拝借しました。
I will not complain
(一部抜粋)
“わたしにとって、およそ20年前にヨガクラスで出逢った心のレッスン第一号「私は文句を言わない」。当時ハラクマ・ケン先生が着ていたタンクトップのプリントだったの。そのレッスンは今もなお有効で、よく心の中で思い出す言葉です“
“文句を言わないマインドになってくると、自分の中の居心地がだんだんどんどんよくなってくる。”
今の自分だから、凄い共感してしまいました。
ケガをしたり、痩せなかったり、いつまでもスプタが出来なかったり・・・。
「こんなハズじゃなかった」
「本当の私はこんなモンじゃない」
そんなエゴが心の底にへばりついているから、上手くいかない自分の状況を否定したくなる。
文句をいつも言ってる人って、自分の思う通りにならないから不満なんですよ、きっと。
でも、逆に全部自分の思うとおりになったら怖くないですか?面白くないし、意外性も無い。
先日のスートラクラスで、悩みについて考える機会がありました。
はて?私の悩み??と思ったら、何も浮かんでこなかった。
悩みがないんかいっ!
・・・確かに、人に言えるくらいのちゃんとしたお悩みがない。
上司と上手くいかない、仕事が合わない、、、とかよくある項目を思い浮かべてもピンと来ない。
実はこれ、私だけじゃなくって参加者(皆アシュタンギー)皆んな同じようなリアクション。
思ったんですけど・・・・悩んでも仕方がないって分かってるからじゃないか、、、と 笑。
悩むとういのは、悶々とするだけ。自分の傷を可哀そう~って慰めてる状態。
悩むというのは、文句を言うのと一緒。
女子トークの「ちょっと聞いてよぉ~」のくだり。
周りの女子も「サイテーね」「可哀そう」と同情するだけ。
アシュタンガやってうちに、そういうが消えてなくなります。
悩んでも、文句を言ってもしょーがないって、分かってるから。
これはメンタル的にはMatureなステップだと思います。
子供が転んで「痛いよ~ママ~」と泣いているだけから、「擦りむいた膝でどう歩くか」という挑戦へ。
悩んでも解決しないような事柄ならば、諦めるのではなく、受け入れる。
ケガをしたからと言ってアシュタンガをやめないのは、こういう考えが出来るからかな。
ケガを受けいれて一緒に練習する覚悟。
そうして文句も言わず、ヒーコラ練習するのですよ 笑。
私もなかなか右背中の痛みが取れません・・・なぜかしら。
でも、それを受け入れて負荷をかけ過ぎないように練習していけば良いと思うと、また新しい道が見えてきます。
セツバンダ、最初の腰を上げる時は手でサポートします。
ダヌラーサナ(弓のポーズ)で左右に転がるでしょ、あれ、右側は手を使ってます (´∀`)。
痛いんだもん。
でも文句を言っても、悩んでも痛いもんは痛いし、ど~なるもんでもないし。
スプタも出来ません・・・文句を言って出来るようになる訳じゃないし、悩んでいても仕方がない。
考えはしますよ、どうしたら良いか、、、悩むのではなく、考える。
ちなみに、合わない上司と折り合いをつける手段、私持ってます。
その人の家族を想像(妄想)をします。
きっと家族、子供、親から見たら、そんな人でもかけがえのない存在。
腹が立って直接話さなくてはいけない時、メールでコンタクトしなくてはいけない時は、その後ろに妄想家族を想定して、その人達が見たら悲しい顔をしないように・・・と思って話す・メールする。
あとは5秒ルール。
他人のいないところ&聞こえないように、悪態をつく。で、思いっきり5秒やり切って忘れる。
そんなもんで解決できるんですよ、大体のお悩みや不満は・・・。
地球が抱えている温暖化、貧富の差、人権等の問題に比べたら、痛くもかゆくも無いレベルさっ 笑