ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

サボテンはバラにはなれない

アーティストってすごいな。

作った映像や言葉で、人の心の襞に入って涙を流させたり、元気にさせたり、ハイにさせたり、、、自分以外の誰かの美のセンスを共鳴させる。

美しいものって、普遍的だけど個々にちょっとずつ違って、癒されるような美もあれば、刺激するハッとする美しさもある。

そのあたりが天才。

 

文学もそう。

どうしたらその美しい言葉の表現が脳みそから出てくるの?同じ人間の脳みそなのに。

自分じゃ言葉に出来ないような感情や雰囲気を代わりにズバっと形にしてくれる。

頭が良すぎるのか、感受性が強すぎるのか。

 

ま、大抵・・・本人たちは孤独で生き辛いようですね。

私は凡人で良かった 笑。

 

私は「美しい」や「素晴らしい」と作品を見て感じる事が出来るけど、、、そっち側の創り出す人間にはなれない。

その代わり、フツーの人として、楽しくのんびりと生きていける。

 

人にはある程度特性があって、得意と不得意があるからね。

それを分かって受け入れれば、割と楽なんだろうね。

大変なのは、その中間に居る人。とびぬけた直感的な才能とは行かなくても、凡人よりも出来ちゃう人。

天才が集まるアーティストや文芸界にいるのも苦しいし、凡人として俗世に生きるのもやるせない。

・・・やっぱり凡人で良かった 笑。

 

地味に1年で1cmくらいしか成長できないサボテンちゃんは、神々しいバラにはなれないのですよ。

なろうとすると、きっとそれは挫折と悲劇。

サボテンでも時期になれば小さな花を咲かせ・・・それなりに可愛い 笑。

 

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ヨガも一緒。

最初から身体のセンスが良い人が沢山います。

体型に恵まれた、手足が長くて痩せてる人も沢山います。

フォトジェニックだったり、ウエアも映えるもって生まれた華やかさがある人。

ヨガ哲学の勉強なんてしてないのに、神髄がなんとなく理解出来ている人がいます。(神か?笑)

 

神様って不公平~・・ぶーぶー。

 

でも、きっとそれは生まれ持ったDharma(ダルマ)なのよ。宿命、みたいなもん。

運命は変えられるような気がするんだけど、、、宿命って、もっと重い気がする。

 

身体の使い方のセンスがいい人だって、体形が恵まれている人だって、ヨガ哲学がなじむ人だって、ウエアが映える人だって・・・きっとその人なりの凡人には無い苦悩があるはず。

常に注目され勝手に期待され、作品は賛否が分かれ、高い結果を常に求められ失敗が許されない。

 

3時に胡麻せんべいポリポリ食べながら、思ったことをそのままブログに載せちゃおうなんて、、、許されないのかもしれない 苦笑。

 

すごい美人の知り合いがいました。

正直、大変そうだった。

美人ってだけで取り入ろうと本性を隠し寄ってくる、悪い虫が沢山・・・いた。

ほんと、トロフィー扱い。

(その子は最後は心もイケメンな彼と結婚し、可愛い女の子のママであり素敵な奥さんになってます)

 

バラも大変なわけよ、きっと。

バラのイメージも保たなきゃいけないから、ジャージ&すっぴんでコンビニ行けない。

悪い虫か良い虫か、自分の目も養って、利用されないようにしないとイケナイ。

美貌や美声、秀でた美的感覚などは生まれ持ったもので、自分で欲しいと言った訳じゃない。(要らないとも言ってないと思うけど 笑)

 

そういう人ほど、そのために問題に巻き込まれるんだろうね。

嫉妬や妬み、いじめ、ハラスメント等々。

世に出る前に埋められてしまった才能が沢山あるのだろうな。

しかしながら、その人達にはその才能を生かすダルマがあるのだ、がんばりたまえ。

私はおせんべポリポリ食べながら、、、平和に暮らします。

 

やっぱり凡人で良かった 笑。

 

「わぁ、この人すご~い、才能あるわぁ~」「この作品が美しくて好き」な~んて適当に言いながら、わーきゃー言ってるのが私のダルマなんだな。

正直を言えば、ヨガウエアの映える体型になりたかった・・・なんかウエアに申し訳ないっ。

素敵なリンダワークスなのに、、、苦笑。

 

同じヨガのアーサナをしてても、華やかな雰囲気がある人はアーサナ映えするっ。

手足もシュルンと長くて、神々しい。

その横でヨッコラ・ドッコラ同じポーズしても、、、なんか次元が違うアーサナなんだよね。

ま、それでも効果は同じさっ。なら、いいじゃん。

サボテンにはサボテンの土俵があるのさ。

バラの土俵で相撲をとっちゃ、苦しむだけよ。

 

・・・来世に賭けるか! 笑 (←往生際が極端に悪い)