人間の生涯寿命から考えると、ようやく折り返し。
色々な人と出会ったり、ご縁があって繋がったり。
居心地が良いなぁ~と思う人や、会う度に緊張しちゃう人。
何となくウマが合わない、逆に空気感が合う、、、そりゃお互い様(笑)。
居心地が良い、ウマが合うって、、、許せる&許せないポイントが自分と似ていると思うのです。
ふるさと納税で無農薬の玄米を注文した、、、、開封したら白米(精米)だった ( ;∀;)
あれれ、、、。
どうしよう、届いてから開封まで時間も経ってるし、今更言うのもなぁ~・・・。
農家さんが一生懸命育てたお米には変わりがない。
アイカタに事情を話してみました。
「オレ、どっちでも良いし。」
良かった (・´з`・)。
結局、その白米(精米)を美味しく頂く事にしました。
一件落着。
これが、なぬ!!頼んだものと違うから猛抗議だ!!
意地でも変えてもらうべきだ!と言われたら
・・・正直面倒くさい (*´▽`*)
それよりも、今あるものを美味しく頂く選択をするアイカタで良かった。
そういう一つ一つ小さな選択肢が似ている方が、結局はストレス無く平和な気持ちでいられるのでしょうね。
20歳くらいの若い頃は、才能が尖がった、自分とは感覚が違う人に憧れました。
世界中を旅して歩いたり、音楽や絵画に秀でていたり、逆にミステリアスな雰囲気だったり、、、枠からはみ出たような人。
自分に無いものを持っている人。今でもちょっと羨ましいかな。
それでも、もう若くない自分が分かっている事は、自分はそうなれないし、その人と一緒にいると気を遣いすぎて疲れてしまうこと。
一つ一つエッジの効いたコメントをしなくては、何かその人が喜びそうな対応をしなければと思う貧乏心。
それよりも、「まぁ、いいんじゃない?」と受け流すポイントが一緒であればあるほど、肩の荷が下ります。
刺激は無いかもしれないけど、、、安定と安心があります(笑)。
何でも受け流すワケじゃなくて、受け流して良いポイントが同じであること。
潔癖症VS散らかす人、美食家VS食に興味がない人、せっかちVS時間にルーズな人・・・認められる&譲れないところは、お互い許容範囲内であること。
家族であっても友人であってもね。
ま、ええんじゃないの?? と思うツボや範囲が近い人。
日常とは、日々、常なることを重ねる事。
面白い事や変わったことがない日々を慈しみながら過ごすこと。
自ずとそういうツボが違う人とは、人生の途中でご縁が切れて行くような気がします・・・。
細々でも繋がってる人は、どこかでツボが似てて、同じ位相手を大切にしたいと思っています。
もう20年位の付き合いの友人がいますが、ほぼメールを週イチやり取りする間柄です。
彼女は新潟に引っ越し、息子を育て、毎日奮闘中。
不思議な縁で、会ったのは出会ってから数回だけ。
それでも20年来の週イチメールをする仲ってすごいよね。
お互いにユルく繋がっている事に心地よさを感じ、その距離だから言える事、吐露できる事、笑い合えること、沢山あります。
会う頻度が高いから親友とか、過ごす時間が長いから大好き、、、だけでもない。
ご縁と言うのはそういうモンかもね。
まぁ、ええやないか、、、それで(笑)。