ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

アース線 みたいなもの

電化製品のプラグの脇にちょこっとついてる、ヘンテコな緑と黄の小さなコードをアース線と呼ぶそうです。

子供のころはコードがはみ出て来てると思って、触ったら感電しそうで怖かった。

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実は重要なリスク管理の役割があるらしいです。

 

ス線は、機械が故障したり、水でぬれてしまったり、落雷や漏電したときなどに、電を地面に逃がして感電するのを防ぐという大切な役割があります。

(引用しました、こちら

 

いざと言う時の命綱。

ショートしないように、有事の際は上手く電流を逃がすなんて、守り神的な重要なポジションでしたのね。

 

最近プラクティスをしていて、アース線みたいだな・・・と思っています。

パンパンになって破裂しないように(笑)、内側から不要な感情や思考を抜く作業。

 

ヨガをした後、心も脳もスッキリする・・・と感じる経験は皆さんあると思います。

それまでネガティブや怒りの感情が沸々としていても、ヨガの後には「ま、いっか~」と流せる広い心に戻っていたり。

 

アーサナの中で手や足をマットに着けたり、深く呼吸したり、モヤモヤした感情がマットに流れ出ていく感じ。(マット、ドロドロやな・・・)

動作的にも、頭をマットに着いたり、逆さにしたり、頭に上った血をゆっくりと落ち着かせるような動きもあるし。

アース線のごとく、、、負の感情や思考を体内から逃がしている・・・のかな。

 

更年期の今、かなり助かっているはずです。

 

余分なエネルギーを放電しないと電気製品ですら故障の原因になりますからね、人間も然りですね。

 

そして動作について少し触れましたが、頭をマットに着ける姿勢って・・・姿勢から入りますけど、首を垂れる(こうべをたれる)・・・という謙虚さにもつながるのではないかと思います。

頭を下げるという行為。

 

以前Youtubeでパタビジョイス師の足に膝まづく行為に抵抗があったけど、やってみたらすごく感情が揺さぶられた・・・と、西洋の女性プラクティショナーのコメントがありました。

カルチャーの違いを乗り越えて受け入れてみたら、全く想像をしなかった感情が生まれたりするようです。

 

アシュタンガは難易度の高いアーサナが目立つので、どうしてもアーサナが出来る・出来ないにフォーカスしがちです。

でも、こういう表には見えない、日々放電してバランスを保ったり、首を垂れて謙虚な姿勢を忘れないようにしたり・・・を大切にしたいですね。

 

以前はプラクティスでストレスをためる事もありました。(よっぽど未熟だったようです)

思うように出来ない、人より遅れてる、先を越された、先生がアドバイスくれない、いろんな感情がグルグル・・・。

 

最近は無くなりました。

 

日々アース線から放電していくうちに、思考回路自体がスッキリしてきたのかもしれません。

自分の練習をシンプルに楽しむことが出来るようなってきたのが、最近の気づきです。

アーサナのの進歩は無い (;’∀’))

 

思考のクセも、整理整頓されてくるのでしょうね。

 

感情に支配されたり、ネガティブな思考や怒りで、自分自身が踏み外さないための・・・プラクティス。

日常の生活のなかでは、どんなに難しいアーサナが出来るよりも有効活用できそうな気がします。

確かにね~・・・日々のフツーの生活でシルシャが実益として役立つことはないもんな~。

それよりも、そのために頑張った過程や、研究して内観する力の方が、実は日常生活では大切だったり。

 

最近地味に楽しくハッピーな練習を詰めているのは、こういう積み重ねなのかもしれないですね。

事実・・・アーサナは後退してますよ、でも以前より楽しく豊かに感じるのですよ。

 

アシュタンガって、不思議。