ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

その人にとっては、自分にとっては

3.11、あの大地震から12年だそうです。

 

段々と記憶やその時の感情などは薄れて行き、当時を思い出すことも無くなってきてますね。

毎年この時期になるとTV等で報道され、思い返す事にしています。

 

私は都内で仕事中で、揺れの後は避難場所の公園まで歩いて避難しました。

さっきまで働いてた高層ビルが横に大きく揺れてる姿を目の当たりにし、「どうなっちゃうんだろ・・」と不安だった気持ちを思い出します。

 

当日は、数時間職場近くにとどまりましたが、その後・・夜に地下鉄が再開し無事に帰宅出来たのでした。

ずっと余震が続き、情報が入りにくい環境だったのですが、不安定ながらもネットが繋がったりLINEで家族の無事は確認できていた状態でした。

 

その間に東北で津波に襲われていた方々と比べて、私が感じた不安や焦りなど・・・取るに足らないレベルですけどね。

 

あの当時、誰もがそれぞれ色々な感情を抱えて、どうにか踏ん張っていたような記憶があります。

特に津波などの被害も無く、交通網もネット環境も復旧が早かった地域に居た人達、直接の被害に遭っていない人たちは、「私のこんな感情なんて」と、周りに起こっている尋常ではない被害状況を見て、そっと自分の感情を封印したような・・・。

 

最近TVで震災時の経験を語るインタビューを見ました。

一般の人が当時の自分の状況を語る短いインタビューの編集番組でした。

 

若い人、見た目はオシャレで元気そうな方ばかりでしたが、いざ語りだすと、その人なりの当時の苦しみ・悲しみ・不安など、抱えきれなかった感情が垣間見れました。

インタビュー中も思い出して涙目になる人も、助けられなかった命に向き合って生き続ける人も、、、封印していた感情を思い出して伝えてくれていました。

 

私の当時のちっぽけな不安なんか、、、と思っても、やっぱり本人にとってはとても大きな心の傷や痛みとして残っているようです。

その人にとっては、些細でも、ちっぽけでも、取るに足らない事でも、、、ないのです。

そんな感情に、大切にちゃんと向き合ってあげる事が、少しずつ自分を癒してあげられるのだろうな~と思えてきました。

 

やっぱり、みんな怖かったし、不安だったし、悲しかった・・・ですよね。

その感情は、大小も優越の区別も付ける事は出来ないもんです。

「あの人たちに比べたら」、ではなく、他人には計る事の出来ない・・・自分の気持ちですからね~。

 

怖かった・・・でも頑張った。

家族がいたから、周りに皆がいたから、頑張った。

 

そんな気持ちです、自分 (‘ω’)

 

12年たっても、その時に抱いた感情は心の記憶としてず~っと残っているのでしょうね。

「あんなくらいで」と思わず、「自分なりに辛かったんだ」と思ってあげると、心の傷口に絆創膏を貼ってあげられそうな気がします。

f:id:Piccolina_mami:20230313084308j:image

まだあの当時はヨガに出会ってなかったです。

もし今また震災になって避難することになったら・・・ブラックマットを持っていくのかな、自分(苦笑)。

 

きっと・・・当時、世界中のヨギー達が祈ってくれたのでしょう。

私も今は朝マットに立って、チャンティングして、今大変な世界の人々が平和になると良いな・・・と祈っています。

そして、、、カポが出来るようになりますように、、、とオマケで祈っています 笑。