ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

因果応報と捕らぬ狸の皮算用

ラクティスをしていると、ついつい計算高い自分に気づくことがあります。

「前夜ストレッチ頑張ったから、今日は調子良いだろう」

「ここにマットを敷けば先生から良く見えるからアジャスト一杯してくれるかも」

「ビンヤサ頑張り過ぎると最後ヘロヘロになるから、力をセーブしておこう」

 

そういう時ほど上手く行かないもんですよ(笑)。

計算高い自分の時はエゴ出まくってるでしょうね~。

損得考えて、ほくそ笑んでいる自分、、、助平な顔してるだろな。

まさに「捕らぬ狸の皮算用」。

皮算用初段くらいの有段者の自覚があるわ。

 

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なので、想定通りにならないと逆に不満タラタラ。

「今日の為に〇〇までしたのにぃ!」

「わざわざ早起きしたのに、全然良い事ないっ!」

「セーブしすぎて胸が詰まってドロップバック散々だよ!」

なんだよ・・・チェッ。(←こらこら)。

 

・・・ヨコシマな考えがあるほど、上手く行かない。

 

それとは似て非なる事「因果応報」。

大抵“やっちまった”系アイテム。

「食べ過ぎたので、翌朝のプラクティスが苦しかった」

「寝不足になったので、注意散漫で集中を欠く練習だった」

「お通じがないまま練習に入って、お腹が詰まった感覚で気持ち良くない」

これらは、原因と結果がしっかり根拠があって結び付いたモノです。

まさに“やっちまった”だろ・・・と反省するのは大抵コレ。

そういう時でも納得のプラクティスの時もありますが、そういう時はいつもより嬉しいですよ。

 

捕らぬ狸の皮算用は、エゴで都合の良いような損得勘定で動いている時

因果応報は、分かっちゃいるけど、やっちゃうのよね・・・という未熟さ。

 

今、取り組みたいのは「捕らぬ狸の皮算用」側のマインド。

〇〇したら有利に事が進む、XXしたら損するからやらない。

これではプラクティスではなくなっちゃうよね。

結果を求めて練習しちゃイカンのよ・・・。

無心で練習して、結果はどうであれ、そのまま受け取る。

そんなマインドを取り払ったところにあるプラクティスへ辿り着けるかな。

まだまだエゴがムクムク大きくなって、エゴ大合唱だもんな~。

 

とりあえず取り繕うをやめたいな。

誰も見てないのに、ヘボなアーサナになったら、「ケガのせいですっ」て素振りをして誤魔化す。

明らかに失敗しても(「アハハ、今日は本気じゃないんですよ、楽しまないとさ」)的な余裕な雰囲気を醸し出したり。

落ち着かないのは隣の人のせいだ、と勝手に責任転嫁したり。

・・・計算して、自分を守ろうとするのはやめないとね。

出来ないのも自分のせい。己の未熟さ故なんですよ。

 

因果応報のマインドはね、、、アレはど~して繰り返しちゃうんかね?(笑)。

食べたら翌朝ツライのに、美味しいギョーザの誘惑に勝てない。ラーメン最高。至福のハンバーグ・・・。

あぁ、ポニョの成長が止まらない。