ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

自分の思考や感覚を放棄しないでね

気づけば季節は移り変わり初夏の陽気。

朝のプラクティスも汗でじっとりする季節。汗拭きアーサナもちょいちょい登場 笑。

 

汗かいてもすぐシャワーに直行できる・・・宅練のメリットをまた発見してしまった(*’▽’)。

 

とは言え、まだ気温は上下のある安定しない季節、毎朝起きた時の肌で感じる気温や湿度で、ウエアを調節しています。

カプリ丈レギンスだったり、キャミの上にタンクトップ着たり。

なるべく自分の肌感覚を大切にして、天気予報の数値や情報で判断しないようにしています。

 

天気予報って、最近おせっかいなのね。

今日は半袖で過ごせます、とか、朝晩は羽織ものがあると良いでしょうとか。

細かいアドバイス付き。・・・おかげで、自分の肌感覚のセンサーが鈍ってないでしょうか?

自分の身体がどう感じているか?と大切にしてあげないと。

 

TVが親切過ぎで、全部細かいところまで指示を与えてくれます。

気温だけじゃなくて、コロナ対策とか、オレオレ詐欺予防とか。

自分で考える余地がなく、全部マニュアルとして視聴者にお届けされます。

 

そう、「考える余地が無い」のです。

 

おかげで指示待ち人間が増殖中です。

「どうしたらいいですか?」が常套句。

「この場合はどうなるのですか?」「次は何をするのですか?」

自分の思考は停止、、、無意識に全て判断を外に委ねてしまう、、、

 

モッタイナイ・・・人間は考えて感じる事が出来るのに、放棄してしまったらロボットよ。

その大切な感覚を手放すなんて、生きる楽しみを奪われるようなものじゃないですかぁ~。

 

母の日だからカーネーションって誰が決めた?本当に貴方の母はカーネーションが好きなの?

私は大人になってからは、母の好きそうな花を選びます。母も毎年何が届くか楽しみらしい。

 

ちなみに私はチューリップが一番好き。(形のシンプルさが潔良くて好き♡←変わり者)

バラ・・・よりダリアが好き。

ピカソよりも~♪ラッセンが好き~!!♪っていうネタも好き 笑)

 

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固定概念にとらわれず、感覚や思考を大切にする方が人間らしいと思います。

 

もっと自分で考える事を大切にしません??

何に重きを置いて判断するか?

概念や通念なのか、個性や感性なのか?                 

 

誰かが何か言ってくれないと行動出来ないなんて、、、人生つまらなくないですか??

「指示してくれたらその通りやりますよ」なんて、偉そうに言うもんじゃない。恥ずかしいでしょ。

 

ルール違反なので、非難する、、、それよりも原因を考えてお互いに歩み寄って解決する世の中であって欲しいです。

江戸の名奉行の遠山の金さんや、鬼平犯科帳長谷川平蔵を見てみぃ。四角くく法律で裁いてないでしょ 笑。

 

衣替えは6月からだから5月まではいくら30度を超える暑さでも夏服禁止とか、、、ナンセンス。

女性は会社ではヒールを履かなくちゃいけない、、、いやいや男性も履いてみろ?辛いぞ。

(私は既にフラットシューズで通しています。運動靴の日もある)

 

今は非難されないよう、目立たないよう、叩かれないようにする事だけが自分を守る風潮の様に感じます。

確かにね、SNSでの炎上とか、心が病みそうだからね、、、、。

もうちょっと自由に発言したり、それを認める風潮で合って欲しいな~。

 

衣替えの前に半そで着た人をルール違反だと罵るより、この気候変動なんだからルール自体を変えたって良いと思うし。

女性だけヒールや化粧を社会的通念として押し付けてないか?それってさぁ、仕事の成果に関係するのかな?

私の様に敏感肌には、プラクティスの汗かいた後の肌にファンデーション塗りたくったら、、、1年中ニキビ面ですよ。

しかも汗や乾燥でムラになって、ゾンビ顔だよ・・・ルールだからって逆にそれで良いのか?( ゜Д゜)

 

こんな時代だからこそ、価値観を見直す時期なのかもしれませんね。

概念ではなく、個性と感性をお互いにレスペクトするのはどうでしょうかね?

個性は特別な人が持ってるものじゃないんですよ、み~んなある。感性だって、バラバラで良いの。

自分のルールにハマららないから攻撃するんじゃなくて、取り入れちゃうの。アレもコレもあり。

 

今は非難をし合う時じゃなくて、手をつないで1歩ずつ前に進んでいく時。

今何をすべきで、どうやったら皆んなで進んでいけるかを一緒に考える時。

 

昔の詩なのに、今のこの時代に響くね~。(確か教科書に載ってたよね!)

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『自分の感受性ぐらい』        

(1977年 茨木のりこ「自分の感受性ぐらい」詩集より)

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにするな

なにもかもヘタだったのはわたくし

 

初心が消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性ぐらい

自分で守れ

ばかものよ