ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

制約と自由のバランス

あ~・・・毎日何もせずグウタラ暮らせたらなぁ~。(‘ω’)

 

見ず知らずの遠縁の大金持ちから、急に莫大な遺産が入って来ないかなぁ~ 笑

そうしたら遊んで暮らすのに。

親戚に石油王いなかったけかなぁ~(・・・純日本人でした)

 

現実は規則正しく小さくまとまった庶民の日常。

朝練して、仕事して、家事して、ほぼ決まった時間に決まった行いの日々・・・おかげで生活のリズムを作れている事も実感します。

 

日々の生活で、様々な事が自分の責任、行うべきこととして課されています。

面倒くさいな~、疲れてやりたくないな~なんて日もありますが、やらないとしょーがない。

仕事も賃金が発生するため、規則に則りお勤めしなければなりません。

家事もやらないと身の回りが荒廃し、食べるものにも困ります。

 

「やらなきゃいけない」大枠は決まっているけど、詳細はある程度自由裁量。

仕事も自分のペースで進めて良いし、気分で食事メニューを決められる。

そういう大枠の制約と中身の自由裁量のバランスで “うまいこと”生活が成り立つのかもしれません。

 

人生にはそれぞれのステージがあって、常に制約と自由のコンビネーション。

子供時代は自由なようで、親の保護下で管理され、お金や独立などの自由は制限されてました。

大人になって、自活できる自由は増えたけど、仕事や家事の責任を伴う制約が出てくる。

 

何からも逃れるフリーという状況は、まだ未経験です。

 

もしかしたらリタイアしたらそうなるのかな。

仕事もないし、いつ食べて寝ても良いし、1日何をして過ごしても誰にも迷惑をかけない。

まさに、理想の「1日中ゴロゴロしてグウタラ暮らす」夢の生活。

 

自分なら、どうなるだろうと妄想してみました。

→多分、自分で制約を作ると思います 笑。

何曜日に何をするか、起床から就寝の時間までほぼ大体同じタイムスケジュールで生活する。

いつ何をしても自由・・・結局何もしないだろうな (*’▽’)

 

制約がないと自由になれない。

なんか変だけど。

 

面倒くさい生き物ですね 苦笑。

 

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1か月だけ主婦をしてみた事がありました。

2人分の洗濯や日々の掃除は、その日にやらなくても良いと思えることだらけ。

毎日がやらなくて良い事をやる事ほど、モチベーションが上がらず、虚しく感じてしまうもの。

・・・自分を律する事ができず、結局働く道に戻りました。専業主婦失格でした。

(なので、若い子が専業主婦になりたいというセリフを聞く度に、立派だな~と思うのです)

 

そんな自分だから、ある程度制約がないと“やりがい”や“達成感”を得られないのかもしれません。

制約の中で自由があるからこそ、その自由を楽しめるんですね。貧乏性なワタクシ。

 

アシュタンガはいいですよ、その辺の安定感は抜群です。

アーサナの順番や目線や呼吸数も決まってるし、制約だらけ。

代わりにその中でチャレンジしたい課題を自分で見つけて練習する。

達成感はハンパないし。

 

常に向上心があるタイプではないし、自分を律せるタイプでもありません。

だからこその、アシュタンガ。ある程度外から規律を持ち込んで、自由を楽しむ。

 

練習後の一汗かいた後の身体は脱皮したよう。

心も軽やか。

 

そして、練習をしない日の2度寝のヘブンは、まさに極楽。

オン・オフの切り替えが堪らなく好き。

 

きっとこれは石油王から遺産を引き継いでも、手放せないような気がします。

(あ~でもスタジオ往復は車で送迎つけるな 笑)

 

制約があるからこその自由の味。

律する事から得られる心の余裕。

規則があるから解放の喜び。

自分が必要とされる実感と意義。

 

いろんな大切な事が絡み合った日常なんですね。