ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

そこからが本当の勝負

新しく習うアーサナもなく、身体の変化を実感する機会も、身体の使い方でガッテンする事も少なくなってきた今日この頃。

長~い、踊り場。(ダンス会場じゃないヨ (‘ω’))。

階段と階段の間のお休みどころ。

 

「身体がこう動けばいいんだけど」

・・・理想像は分かっていて、理解はしているのだけど、、、身体は簡単にそう動いてくれない。

 

もどかしさと、情けなさをたっぷり味わうアラフィフの練習(苦笑)。

 

ここからが、本当の勝負。

 

習い始めの次々と習得する楽しさや、上達していく実感を覚えていた頃には見えなかった闘いが見えてきます。

あの頃は毎回発見や学びがあり、アーサナが出来るようになる喜びが沢山あった。

身体の使い方が雑で何度もケガしたけど、前に進める楽しさがあった。

今から考えると、「イケイケ・ドンドン」期 (*’▽’)

 

一通りプライマリーを過ぎ(スプタクルマはさておき 汗)、セカンドからは少しずつ別のフェーズへ。

進むことが楽しいに加え、深まる事が楽しい。

理解が深まる、アーサナが深まる、心へのアプローチを感じる、、、等々。

外側に発せられていたエネルギーが内側へ向かい始めた感じ。

「出来た!」「褒められた!」「進んだ!」から落ち着いた世界に繋がった気がします。

 

そして失速し(苦笑)、黙々とオノレと向き合う練習フェーズへ。

新しく学べる事も減り、先生からのアドバイスも少なくなり、先に進むペースは減速(というか、私は失速です( ;∀;) )。

自分の内側との、淡々とした葛藤。

 

そこからが本当の勝負。

 

それでも練習を黙々と積み重ねていく・・・。

出来ない日を受け入れ、出来る日はその分頑張って、誰かに見られたり褒められる事もなく、ひたすら自分の為に練習する。

 

地味で進歩も見えにくく、アーサナの完成形まで近づくのに年単位。

コツやテクニックも人それぞれ。

逃げずに自分に向き合って日々同じ事を繰り返す。

それが本来のプラクティスという事なのかもしれないなぁ~。

(↑ 分かったような事を言ってますけどね、まだまだ全然ですのよ (‘ω’))

 

最近、思うんですよ。

練習の直後、仰向けになる時に「幸せ♡」って感じる事って、スゴク幸せなんじゃないかな?って。

日々「幸せ」の内側から溢れ出る感情を、味わって意識する事ってあまりない。

(せいぜい、当たりで何か景品もらえたり、おまけされる時ぐらい? 笑)

それを週5回練習すると、その朝は無条件で付いてくる(笑)。

・・・その為にやっているのかもしれない。

 

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“イケイケ・ドンドン期”は、運動したスッキリ感が大きかったけど、今の“踊り場期”は内側のジンワリした幸福感を多く感じます。

仰向けで身体をマットに預けて、深~く呼吸を一つ口から吐いた時。

あの安堵と共に訪れる幸福感は、やっぱり特別。

 

進まない練習と、変わらない身体と、進歩しないアーサナと向き合う事で、学ぶ事や感じる事が多いね。

幸せのシャバーサナは、、、寒くて3分なのよね、、、最近 (;´д`)トホホ。