ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

不完全を受け入れる

自分好みに修正された顔の写真ばかりを見ていると、素の写真の自分が受け入れられなくなるそうです。

「写真撮られるの嫌い」って言う人・・・「ブチャイクに写るから」と言うけどね、、、。

案外、素の写真の方が自分の本当の姿かもしれませんよ (*’▽’)。

 

鏡に自分の顔を映している時、写真でポーズする時は、ほぼ決め顔ですからっ。

普段のボ~っとした顔はもうちょっとマヌケです・・・私も。

意識してない時に撮られた写真・・・「え?まんまじゃん、何が写真映り悪いとか言ってんの?」と言われると、悲しい。

今はデジタルなので、消去ですけどっ。(昔はフィルム、写真として紙で残ったのよ)

 

盛りすぎると、どれが本当の自分か分からなくなるものですね・・・。

決め顔から3割引きのブチャイクくらいに思っておかないね、現実と幻想デスヨ。

 

でも・・・素の方が、自分らしいリラックスした味のある姿だと思うんですけど。どうでしょう?

 

ラクティスをしていると、そういう「不完全な自分」を受け入れる学びにもなります。

 

まぁまぁ、ブチャイクですよ、プラクティス中の自分 ( ;∀;)

容姿で言えば、髪はバサバサ、ノーメイク、ずんぐりむっくりで、ハミ肉すら。

その姿で、ヒーヒー言いながらギリでアーサナをキープする。

 

どう見ても、モデル美女がすらっと長い手足でカッコよく映るアーサナとは別物(笑)。

3歩譲って・・・お澄ましでお出かけスタイルの決めた格好の自分とも別物。

 

モデルの見た目はさておいても・・・

更に残念なことに・・・一流アシュタンギーニの動きとは雲泥の差。(当たり前だ (*'▽'))

体も重そうだし、軸がブレていたり、へっぴり腰だったり、肩に力が入り過ぎたり。

自分で分かる程の違いですからね・・・人から見たら更に面白いかも。

 

そんな自分の姿を、「素の自分」として淡々と受け入れる。

 

完璧じゃなくても、美しくなくても、柔軟でなくても、、、いいんです (・´з`・)

そういうの、一旦取っ払った姿が一番自分らしいかも。

どんなにヘッポコでも、はみ出る体型でも、それが逃げも隠れもしない素の自分。

 

色んなモノサシを一旦忘れて、あるがままの自分を受け入れる。

 

全員がTarzanに出てくる肉体美で、新体操選手の様に柔軟性があって、モデルのような容姿・・・なワケない(笑)。

個性あふれる実体ですよ (*´▽`*)。 

 

何度も言いますけどっ、良し悪しは無いんです。

そのまま、で良いんです。

頑張ってる姿はそれだけで美しい(ハズ~!)。

 

木や花も、醜いとか優越がないのと一緒。

そのあるがままの姿が、それぞれ一番自然で美しいのですよ。

 

髪なんてボッサボサで、ノーメイクで、必死こいてカポタをしている姿。

起き上がると、灰になってゼィゼィ肩で息をして・・・。(ほんと、一日のクライマックスがコレ!)

美的な感覚からしたら全くポイントゼロですが、、、

しかし、全然出来なくて、喘いでますけど・・・一生懸命に取り組む姿は尊いですヨ。

ワレながらアッパレ。

 

出来ないからこそ一生懸命取り組む。

出来ない自分を認めて、素直にプライドを捨てる。

出来ないとしても、その姿を尊いと思う気持ちを忘れない。

 

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そんなものを沢山の出来ないアーサナから学ばせてもらってます。

出来ないものが多くて、ちょいちょい学びっぱなしです(笑)。

ジャンプバック、スプタクルマ、パシャーサナ、ラグバジュラ、カポタ、スプタバジュラーサナ、バカーサナB・・・

お、多すぎでない?? 汗 ( ;∀;) ・・・・とほほ。