電車に駆け込み乗車できるか!と走ったら、無情にも・・・直前でドアが締まりました。
あと私の足が10cm長かったら、、、間に合ったんだろな。
次の電車が来るまで、ギリギリで乗れなかった悔しさで、、、、かなり悪人顔だったはず。(鏡が無くて良かった)
その後も、
「アレに間に合っていたら、乗り換えもスムーズだったろうに、10分早く到着できたはずなのに・・・(イライラ)」
ず~っと根に持つタイプです (;・∀・)
なんなら、
「車掌さん気づいてたでしょ、ボタン押してちょっと開けてくれれば良かったじゃん、ケチだよね、ほんと」
責任転嫁も甚だしい限り・・・。
そもそも・・・・駆け込み乗車は危険です (;・∀・)
逆に、上手く飛び乗れる事もあります。
たまたまタイミングがバッチリ。
「お、私、今日は何か持ってるわ♪」
乗れた瞬間はそう思うだけで、それ以降はすっかり忘れるクセにね。
更には「ゲ、席空いてないじゃん。次の電車にしとけば良かった」
・・・とんだクレーマーです (‘ω’)
人間の脳(というか、私の脳)って不思議なもので、、、
不幸や不運は10倍にも感じるのに、ラッキーやハッピーは当たり前にやり過ごすようです。
ラッキーなんて、ほんと過小評価も甚だしいもので、、、。
「なんか、そんなモンなんだよね」って・・・感謝すらしない、バチが当たりそうな気がします。
現金支払いで、小銭がピッタリ払えた時「お、ピッタリ合った。良かった♪」。 (←庶民の小さな幸せ)
逆に1円足りなくて、結局千円札で払ってジャラジャラ小銭が増えた時、「ついてない、こんな小銭ばっかり要らないよ、まけてくれたらいいのに」
「ほら財布が重くなっちゃったじゃん」
「本当はあそこで買わなくても良かった、失敗した」
「おかげで気分もドンヨリ」
「ほら、またついてない」
・・・負のループが助長されていきます。
それだけでその日1日嫌な日だった・・・なんて決めつけてしまう事も。
事実は・・・運なんて天下の周りモノ、恐らく50/50ぐらいなんでしょう。
受け取り方で10/100ぐらいに感じているだけかもしれません。
幸せって、、、公平に評価されない。
気づきにくいのかもしれませんね・・・。
具合が悪くなった時に、健康のありがたみをシミジミ感じるのと同じなんでしょう。
不運が続いたときに、たまたま今まで幸運だった・・・という事に初めて気づけるのかもしれません。
アシュタンガのプラクティスも・・・・
ケガをして初めて、痛みの無い体で練習する楽しさを知り、
練習ができなくなった時に、どれだけ自分にとって大切にしていたかを実感できたり
普段は当たり前だったことが、、、どれだけ恵まれていたかを知るタイミングになります。
ケガをしている時の練習なんて、痛いしアーサナもモディファイして・・・まさに勝手に悲劇のヒロインですよ(笑)。
こんな目に遭わされている私ってば、、、可哀そうモード全開。
・・・とは言え、自業自得なのよね、本当は。
絶好調の練習の時は「やれば出来んじゃん、ワレ」。
鼻高々で・・・ウェーイ。
逆にそれが本当の実力と誤解して、ベンチマークにして浮かれポンチ。
あるがままに、見て感じて受け取る・・・それが難しい。
不幸は10倍に見えてるし、幸せは1/10になって隠れてるし。
幸せを受け取っていると意識してみるだけで、ちょっとラッキーが増えていくかもしれませんね~??
本来当たり前と思っている事は、実はすごーく幸せの積み重ねだったりするのでしょう。
今こうして、そんな事を静かに平和な環境で考えらること自体、私以外の皆さんの力で成り立つ環境なのですね。
平和な日本で、親に育ててもらい、アイカタさんとのんびり生活出来ている事、考えてみたらかなり幸せ。
自分の力や実力じゃない。
今ここに存在しているだけで、沢山の幸運や幸せに囲まれているのですね。
きれいごとですけどね、、、
でもそういうキレイごとを言える環境も、自分の状況も・・・ひっくるめて幸せなのですのよ。
駆け込み乗車で失敗した位・・・許したれ、自分 (‘ω’)。
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日をまたいで根に持っている 笑。