TVの街頭インタビューで、新宿のキャバ嬢さんのコメントが頭に残って・・・反芻中です(完全に牛です)
美容系の学校に通う為に借りた奨学金の返済のため、稼ぎの良い夜のお仕事をしているそうです。
「奨学金を返したら、プラス自分にも使いたい。
整形したい。
お金があると、心に余裕が生まれるし、
整形して可愛くなると、自己肯定感が高まるし
・・・」
そんな内容でした。
「お金がある」って、、、どの位あると安心出来るようになるのかしら・・・。
「可愛くなる」って、、、どこまで整形したら満足出来るようになるのかしら・・・。
(アタシは全チェンジで石原さとみさんになってみたいけど、内側が変われないからハリボテ感が否めないだろなー 笑)
多分、お金って・・・欲しいと思うと「もっと欲しい、全然足りない」気がしてしまうし、
整形しても、「まだ〇〇が足りない、ここが嫌い」、どんどん気になるところが出てくる気がしますし、、、
いつまで経っても心に余裕が生まれず、自己肯定感よりも違う感情に支配されてしまうような・・・闇を感じます。
ちっさい話になりますが、
お腹が空いた状態でスーパーに行くと、要らないものまで買ってしまったり
SNSでちょっとイイネをもらえると、次の投稿ではもっともらえるようなネタを探したり
ハーゲンダッツを買う優越感を味わうと、100円のアイスでは貧乏な気がしてしまったり
おかしなものです(笑)・・・一瞬の幸せに執着しちゃうんですよね。
他人事ではありません (;’∀’)
そんな「欲望」を少しずつ捨てていくのがヨーガのプラクティスなのですが、欲深いモンでそんな簡単には行きませんよねー。
ちょっと数年プラクティスしているだけでは、全然無理そうな自分がいます (‘ω’)。
アタイのプラクティスだって、随分と欲深いものです。
「欲望」を捨てていくはずのプラクティスで、逆に取りつかれるという・・・矛盾。
ドロップバックをバッタバッタとへっぴり腰で練習しています。
着地というより、落下。
身体の調子が良く・・・“なんか・・・行けそうな気がする~♪”という日は一日がHappy。
胸も開かず背骨も動かず・・・“無理にやったらケガするな”チャレンジすら出来ない日は一日落ち込む。
ドロップバックに左右される・・・ポンコツな姿です。
おまけつき。
「あ、でもスプタクルマで手がバインド出来たし・・・+10ポイントかな」
「ウティタハスタで不安定で足着いちゃったから・・・-10ポイントだな」
練習の出来不出来に、合格だの不合格だの評価を加えてコロコロ気分も変わります。
でもさ、疲れて身体も動かない日の練習とかさー、落ち込まない人なんているのかな。(いないと言って!)
柔らかく上手く動けても、楽しい練習出来ちゃったなんて思わない人、いるのかな。(いないと言って!)
ワタシ、欲深すぎるのかしら・・・。
ただ、もし・・・(もし、ですよ、あくまでも)カポタで踵を掴めても、きっと「ピンチャが出来ない!!」とか騒ぐと思うんですよ・・・。
ピンチャが出来るようになっても「チクタクが出来ない!!」と騒ぐと思うんですよ。
もっと&もっと・・・際限がない。
太陽礼拝だけやればそういう欲望が抑えられるのか!?・・・と思ったのですが、「フローティングのジャンバック、ジャンプインが・・・」とか言ってそうですもん。
結局同じ (;’∀’)
アシュタンガのプラクティスって、割とスーパーマリオと似ているような気がしています。
〇面をクリアしたい (プライマリーを制覇したい)
この面の最高点を出したい (全てカウント通り呼吸も余分なくキレイな練習をしてみたい)
いつも取り損なうあそこのキノコを取りたい(カポタで踵をダイレクトキャッチ出来るようになりたい)
欲望が細分化され、欲望自体が全くない無い場面が・・・ないのよ、オノレの練習(笑)
話の最初に出て来たキャバ嬢の女性と一緒なのですよ。
結局、満たされない。
きっと・・・「キリがないから」。
そんな欲望を持っている自分を外から眺めて、ニヤニヤしながら練習しています。
欲望を向上心と捉えて、執着しない程度のスパイスとして楽しめるぐらいが丁度良いんだけどなー。
現状・・・スパイスどころじゃない(汗)、なんなら原動力 ('ω')。
どっかで、急に局面が変わって・・・えぇい!!どうにでもなれー!と思う日が来るのかしら・・・。