ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

NO Judgement、NO Analysis

Govinda先生の置き土産。

 

Practiceで大切な事として挙げた2つの「しない」。

 

Judgeしない

比較したり、良い/悪いと決めない。

「昨日より上手く出来た/出来なかった」、「今日は調子が良い/悪い」など、自分の過去の経験と比較しない。

今日のPracticeは、ただその日だけ。出来る事を最大限にやるだけ。

 

Analyzeしない

アーサナを分析したり、頭を働かせすぎたりしない。

「え~っと、ブリッジは、まず脚を強く、お腹柔らかく、バンダ~、胸を開いて~云々」アーサナをとりながら、常に頭がフル回転・・・ソレをしない。ただただ、呼吸をガイドに動く。頭はお休み。

 

私、逆の事ばっかやってましたわ。

Judgeするわ、Analyzeするわ、、、頭も心も超大忙し。

今日は手首が掴めない(凹む)、みぞおち固い~、脚の重心はどうだっけ?、頭フル回転。

「お、今日はいつもより調子良いぞ」「昨日より身体が軽い/重い。」心もフル回転。

支配されてしまう日もあって、そういう時は周りも気になる。

「あ、また一人マット抱えて入ってきたぞ、さてどこに敷くんだ?私のマットを前後どっちかに移動したほうが良いかな? あ、あのスペースに行ってくれたらいいな・・・」アーサナしながらそんな事まで。

現場を仕切る気か!?

 

ハチャメチャなそんなスイッチが入ってしまう前に、Govinda先生の言葉を思い出します。

「NO Judgement、NO Analysis」

まだ心が生きてる時は、その言葉でスっと自分のセンター(中心)に戻れる時があります。

散漫大魔王に完全降伏して支配されてたら、全然響かず外への意識100%でフィニッシュだけどねぇ~。

ま、未熟者ですから。

 

誰が練習をしているんだ?というシンプルな問い。

 

自分だよね、だったら自分へ意識を向けましょ。

昨日の練習じゃなく、今練習してるんでしょ。じゃ、今をそのまま感じれば良いじゃん。

良い悪いの判断は、終わった後にしよう。

やっぱりね、Judgeする心、Analyzeする頭は健在。でも一旦Practice中は保留する。

 

判断を保留にする事で、今の自分をそのまま感じて動いていく。

考えない練習。

終わってから、会社行く間はいくらウダウダ考えても、凹んでても許す(笑)。

 

面白い事に、ケガで痛みがあるほうが、その痛みに意識が集中し、周りを気にせず練習できたりします。

これぞ、怪我の功名 (笑)。

怪我に支配されないよう、“痛み=自分ではない”と言う禅の本の教えも生きます。

痛いのは身体の部位であって、自分ではない。(←かなりマニアックで自分で説明するのは難しい)

 

もうちょっと真面目にPracticeできるようになると、毎日納得できるのだろうな~。

終わった後の一人反省会は、毎回懺悔ですよ、トホホ・・・。

 

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 (自然はあるがまま、そのまま。そうありたいものです・・・)

 

この課題何度も出てくるな~。

アメブロでも散々書いたのに学べてないって、どんだけアホな私。

「いのちでヨガをする」

https://ameblo.jp/piccolinamami/entry-12438006602.html?frm=theme