3.11あれから11年なんですね。
「もう」なのか、「まだ」なのか、感じ方は人それぞれですが、月日は確実に流れていきます。
今日は平和と祈りを込めたチャンティングで練習しました。
いつもはアシュタンガの事ばっかり書きますが、たまには思い出話を・・・・。
(震災とは関係ない、よもやま話です)
母との昔話で、私が小学3、4年生の頃の担任の大山先生の話になりました。
当時中堅どころの男の先生で、いつも教科書の進みが学年で断トツ一番遅い。
学期末のテスト前になると、他のクラスより圧倒的に遅れていて、、、生徒たちが焦るくらい(笑)。
なぜなら、教科書より実のある話を沢山してくれる先生だったのです。
国語の授業中に「あ、そうだ、君たち、雲ってなんで出来るか知ってる?」と言い出して大脱線。
海水の水蒸気が蒸発して、雲となって風に流されてやってきて頭上で雨を降らせて、また海へ帰る。
・・・そんな大変楽しく興味深い話を、目をキラキラさせて聞いていた記憶があります。
私には漢字の書き取りや九九を覚えるより、絶対的に面白かった。
今から思うと、あの年齢でそういう先生に出会えてラッキー。
教科書通りの課題を淡々と行う先生だったら、授業がつまらなかっただろうなぁ~。
自分が今大人になって振り返ると、当時の大山先生も、課題と教育のはざまで大変だったのだろうな、、、と思います。
〇月までに教材のXXの△△ページまで終えるタスクと、子供の創造力や心を豊かにする時間のバランス。
先生は後者に重きを置いた教育でした。
今自分が大人になって、同じように仕事やヨガでもそういう二極性のバランスを考えることがあります。
仕事で言えば、淡々と言われた事だけ行うだけの姿勢と、失敗しても良いから新しい方法や違ったやり方を考えながら仕事する姿勢。
ヨガで言えば、アライメントばかり気にして、正確なだけのアーサナと、その人のキャラクターがにじみ出るようなアーサナ。
どちらも、後者の方が遠回りだったり、非効率だったりしますが・・・面白いのはソッチ (‘ω’)
人間としての面白みや余白の部分って、そういうところにあったりします。
良い子ちゃんは、想定内で扱いやすいけど、、、面白くないんですよね~。
ん?お前はどこの星から来た?(笑)っていう方が危なっかしいけど、いい意味で個性があって楽しい。
私も親がちゃんと教育してくれたおかげで、かなり良い子ちゃんですよ。
・・・おかげでまともに生きてます (*´з`)
ただ、やっぱり自由人の気質もあります。
小学3年生の頃の、雲が出来る話をワクワク聞いてた自分はそのまま。
今でも妄想族(笑)の一員として、かなり想像力は豊か。
若い頃はその自分の二極性が嫌でしたが、年齢を重ねヨガを続けていたら、なんだかどーでも良くなりました。
段々と自由人気質が増えている気配もありますが、それもまた楽しみ。
もうすっかり、今の私は当時の大山先生の年齢を超えているはずです。
私がもし先生だったら・・・教科書〇〇ページまで終えるノルマ優先、更年期で怒り散らす怖いオバちゃん先生 (;’∀’)
だから、あんまりタイプとしては教育者向きじゃない。
心の豊かさって、誰といつ出会って、どういう学びがあって・・・という積み重ねで育まれるのだろうなぁ~。
ちなみに、母の記憶として、大山先生から聞かされた話がずっと忘れられないと・・・・。
当時うちは母の実母(祖母)が同居していました。
江戸っ子なので、言い合いのような掛け合いは日常茶飯事、実の娘母なので容赦はありません・・・
私があるとき祖母に「なんでおばあちゃんは、いつもお母さんとケンカしてるの?」聞いたそうです。
祖母は「あ~、あなたのお母さん、遅れてきた反抗期なのよ」と言い放ったらしく(笑)、私が後日それを大山先生に「母は反抗期らしい」って話したようです・・・。
家庭訪問の時に先生からその話を聞かされて、母は大変恥ずかしく赤面したと。
面白い方ですね~と・・・。
反抗期と言われた母は、その恥ずかしさを忘れられず、今でも何かというとその話をしてきます。
更年期ならず、遅れた反抗期・・・、あながち間違ってもないわな。
ばあちゃん、言葉のセンスが良いね♪ ユーモア満載な人でした。
そういう江戸っ子なアホ気質のDNAが、私にもガッツリ埋め込まれているのですよ。
今日は静かに、自分のターニングポイントと思える出会いや、その時に出会えた人を・・・元気かな?と思う日にしても良いかもしれませんね。
最近年齢的にも記憶が曖昧になりつつあり(笑)、書き記しておこうかと思ったのでした。