カルマは日本語で「業」(ごう)というらしいです。
難しい説明でなんとなくボンヤリ理解出来ているような、いないような (‘ω’)
ざっくり・・・良いことすると、良いことあるよ!という感じ。 (ざっくりしすぎ)
逆に、悪いことをすると、痛い目に合うよという事か・・・。
よく、「アイツ、酷いことばかりして、、、最期は畳の上で死ねないね」というセリフ、、。
悪い「業」を重ねていると、最後は悲惨だよ、、、という事を言ってるのでしょうね。
良いことは、何をもって「良いこと」と判断するか?
最初はちょっと辛いけど、続けていくと幸せを感じられるような事らしいです。
例えば、食欲。
食べたいものを好きなだけ食べられたら・・・幸せですよねぇ~。
(私も納豆が無限に食べてみたいです。)
でも、必要以上に食べれば太るし、成人病にもなりかねないし、体の負担は計り知れません。
最初は幸せを感じられても・・・長い目で見たら、ソレは本当の幸せではない訳です。
最初は我慢することが辛くても、少しずつ我慢すれば・・・
体重も上手にコントロールできるし、胃腸の負担もなく、健康でいられます。
段々と必要な量が分かって、体調維持が出来る方が、ずっと心も体も健康で幸せです。
カルマをとは・・・そういう長い目で幸せを感じられるような事を続けること、、、なのかしら?
哲学的な事は浅い知識なので、ちゃんと的を得られているのかは謎ですが、、、今の私の理解は、そんな感じ。
買い物も、お金に関係なく好きなものを好きなだけ買っても・・・使い切れないし、部屋は狭くなるだけで、心が荒む。
本当に好きなものを必要なだけ吟味して買えば、物は増えないし、愛着を持って大切に扱います。
心が豊かになるのは、後者でしょうねぇ~。(一回ぐらいバカみたいに買い物してみたいけど 笑)
行きたい大学に合格したいなら、大変でも一生懸命勉強すれば合格出来て願いが叶います。
行きたいと言ってるだけで、勉強もせずダラダラしてたら行けません。
日々のプラクティスも・・・然りです。
最初はヨガを継続するのって、ちょっと大変だったりします。
習慣にするには、継続的に時間を確保して、よし!と気合を入れないとなかなか難しい。
でも、少し習慣化してくると、逆に出来ない日は脳も体もスッキリしない気がしたり・・・。
そして、練習後の穏やかな気持ちいい心と体を覚えて、大変(辛い)から、、、気持ち良い(幸せ)に代わってきます。
私のようなヘッポコ練習で、どれだけ良いことなのかは甚だ疑問ではありますが、ちょっとぐらい良いことをしている気がします。
手近なところでは・・・確かに体も心もおかげさまで落ち着いてます。
見えないところや、来世でもうちょっと恩恵があるのかもしれませんが・・・分かりません。
良いことがあるはずだ、カモ~ン!!・・・と期待してしまうのも良くないらしい。
(とはいえ、ちょっとぐらい期待しちゃうよね~)
ま、プラクティスは幸せなので・・・これ以上何もなくても良いか、とは思えます。
畳の上で死にたいから、、、とか
来世が幸せになるように、、、とか
を目標に日々練習をしている人の方が・・・少ないでしょうね (‘ω’)
カルマのためにプラクティスをしているわけではない・・・。
けれども結果的に、良いカルマを重ねていたなら本望ですけどね(笑)←基本、断らないタイプなんで。
例えば、メジャーリーグの大谷選手がグラウンドに落ちているごみを拾うのも、良いカルマを重ねていると言えるのかもしれません。
ご本人は「運を拾っている」という気持ちで行っている言っているので、なんとなく近いニュアンスにも感じますね。
今すぐには何もなくても&誰にも見られてなくても・・・良いことも悪いことも、、、「お天道様は見ている」という訳です。
お天道様に見られても恥ずかしくない行いをしましょうって・・・思えば、なんとなく良いこと&悪いことの区別は出来るし、ご縁とか天罰とか・・・昔からの言葉とも結びついてくるのかも。