先日TVで、1000年以上続いてきた黒石寺の蘇民祭が今年で最後というニュースを見ました。
褌一丁の何百人もの男性が狭い境内でモミクチャになりながら麻袋を奪い合うという・・・荒々しいお祭り。
TVでも奇祭として取り上げられる事も多く、目にした方も多いと思います。
1000年以上続くお寺のお祭りをやめるって・・・ご住職もかなり勇気の必要な決断だったと思うのです。
お祭りはとても盛り上がって参加も多いのに、、、何でだろう?と思っていたら、背景を聞くとなるほど・・・と思ってしまいます。
後継者不足。
荒々しいお祭りは儀式の一部であり、事前に祈祷にあたる色々なしきたりを行う檀家さんの高齢化と後継者不足が理由なのだそうです。
“お精進”と呼ばれ、お祭りの前は食事は肉・魚・卵・ネギやニラなどは絶ち、祭りの準備する。
更に“お精進”していない家で火を共にすること(食事や暖を取る)もNG。
・・・檀家さん達はそういう制約のある習慣を当たり前にずっと受け継いで来たのね。
10件しかいない檀家さんも高齢化が進み、そういうしきたりを存続出来ないので、祈祷の部分だけを残してお祭りは止めるそうです。
なるほどなー。
ずっと守って来た伝統を、そのまま守り続けるか、外に門戸を開くか・・・。
守り続けると、高齢化と少子化で今まで通りの儀式を行う事は難しいけど、神髄の部分を理解している人達で形を変える事無く受け継がれていく。
門戸を開くと、人数が増えるので継続する事は可能だけれど、今までの伝統や習慣を肌で学んできていない人たちの間で変わっていく事は否めない。
どちらが良いのかという部分は難しいですね。
今のアシュタンガヨガも、パタビジョイス師が門戸を開き、外国人や女性にも教えるようになって世界的に広まった反面、哲学や教えとしてのヨガの要素は大分薄まっています(苦笑)
ただ、ヨーガの伝統のままカースト上位の階層の男性のみで受け継がれていたら、恐らく衰退し、やがて受け継ぐ人がいなかったかも。
もちろん私がアシュタンガに出会える事も無かっただろうなー。
そう思うと、思い切ってヨガの恩恵を誰にでも受けられるようにと、門戸を開いてくれたパタビジョイス師のおかげで救われた人も多いでしょう。
私もアシュタンガに出会ってなかったら、随分と更年期で尖がったオバサンとして周りに迷惑をかけていたかもしれません・・・。
アシュタンガヨガをアクロバットなヨガとして楽しむ人が出てきたり、アーサナに執着し過ぎちゃう人も続出するのは、、、本来のヨーガの哲学とは切り離されている為に起こりえる事だったのでしょう。(私だって、正直なところ未だにアーサナの執着からは抜け切れてません・・・)
門戸を開いた為に、受け取り側の都合で変わってしまうのはある程度仕方のない事なのでしょうね。
それでも、どこかで誰かが救われるなら、、、とも思います。
難しいですよね。
和食だって、海外に行くと変なの沢山ありますからね(笑)。
逆にイタリア人もビックリ、日本の明太子パスタだってありますし。
きっとこれから過疎化も進む日本・・・地方の伝統を守るか、観光客も受け入れて変わり続けて存続させるか、色々判断が分かれてくると思います。
どちらが正解でもなく、良し悪しもなく、、、難しい問題。
アシュタンガヨガもこれから50年後、、、どうなっているのでしょうね~。
シャラ―ト師のお子さんが指導者として引き継がれるのかしら。
今は世界的に広まっているけど・・・定着してて欲しいな~。
とは言え、恐らくまた少しずつ今の姿から変わっているのかもしれないですね。
そのうち、ワープや3D技術で自分の姿がマイスールのシャラにいるかの如く直接指導してもらえるようになったり
もしくは、全然違うシークエンスのアーサナになっていたりして。
伝統と新しい風の融合・・・が今後の主流になっていくような気がしますねー。