ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

力を抜く事、練習も人生も

はぁ、無駄に力んで頑張ってたのね。

アーサナ毎に踏ん張ることを見直し、肩や背中、お尻やハム・・・少しだけ緩められるようになって、ドロップバック&カムアップ、ジャンプスルー、その他諸々が、ほんのちょっぴりやりやすい。

身体を緊張させている時ほど、アーサナの形ばかりに意識が向きます。

身体と心をリラックスさせた状態でいる方が、本来のプラクティスの姿に近いんじゃないか?という実感。

言っちゃえば、進化系リラックス。

 

まだまだ楽ちんでもないし、ハァハァしてるし、肩がガチガチのアーサナもあり・・・エラそうに言ってる場合じゃないけど 笑。

ってか、まだ出来てないアーサナまであるという・・・オチですが。 ( ゜Д゜)

 

でもこの進化系リラックスが、ルーティンになって来た公園ウォーキングにも活用できることに気が付きました。

肩甲骨をリラックスして腕を振り、骨盤を力ませずに歩くと、重心が安定して気持ち良く歩けます。

お尻やハムをなるべく柔らかくしたまま、少しだけ走れるようにもなってきました。

(当初いきなり走ったら座骨神経痛を発症し、3歩と走れなくなってました・・・、2か月でようやく50mは行けます)

 

そしてそれを心の緊張にも応用するように心がけています。

人の一言、一文、一動作にイチイチ過敏に反応しない。自分の苛立った感情にイチイチ反応しない。

自分解釈で勝手に怒ったり、妄想して非難したり、大袈裟に考えて悲観したりすることあります。

だって、女子だも~ん。

また、月のホルモンバランスで、自分が悲しんでる事を認識して、更に悲しくなったり、怒りが増したり・・・

だって、更年期おばさんだも~ん。

 

でも、なるべくイチイチ肩を怒らせず、一旦その感情の空気を抜く様にしています。

心が緊張して力んで尖ってる時は、全部ひっかかって、いちいち反応して、反撃して、凹んで、空回りするモンです。

 

身体がガチガチになってる時と一緒。一旦呼吸を吐く。息を吐く。

そう。

息を吐くだけでも、一つテンポがずれて、勢いで口から出かかった棘のある言葉や感情が外に出ずに済みます。

 

人生も少しリラックスする時期なのかもしれませんね~。

インド哲学でいうと、年齢的には私はすでに主役を退いた「林住期」。(子供いないけどっ!)

(「学生期」(人生を学ぶ時期)/「家住期」(結婚&仕事をし子育てする時期)/「林住期」(子供が独立し、親の役目を終え、引退する時期)/「遊業期」(ご隠居後、自分の人生の集大成を迎える時期)と4つに分かれてます)

 

f:id:Piccolina_mami:20200602141741p:plain

 

もう、そっと力を抜いて良いんじゃないか、、、、と。

 

肩の力を抜いて、荷をそっと下ろして、少しだけ自由になって楽になった方が人生の流れとしては良いのだろうな~。

確かにさ、若者に交じって「オレがオレが」って頑張る人々もいますが、、、そうなる前に、そっと退いて自由で身軽になっておきたい。

 

更年期も、何となく女性としては否定したい(苦笑)。

女性としての終わりを受け入れたくないけどさ、、、受け入れちゃって、身体も四角くオジサンっぽくなってもさ、良いんじゃないか??

もうオバサンでもオジサンでもどっちでも良い世界へ~!笑。

 

日々の練習も若者と同じようにスイスイいかないし、進歩もないし、身体もいつまでも変わらないし。

それでも、そっと息を吐いて、力を抜いて、中年にしか出来ない、中年のプラクティスをしています。

若者よりもアーサナは進まないけど、奥深いぞ。

出来ないし、出来る気もしないけど、毎日ヒーコラやってるんだぞ、すごいだろ 笑。

そして出来なくても笑ってられるんだぞ。楽しくてショーガナイんだぞ。

 

若者よ、あと20年経たないと辿り着けないぞ、羨ましいだろ 笑。(←負けず嫌いは相変わらず)