ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

待ちの人、掴む人

春の新生活が始まる季節。

コロナで振り回されて1年だったような・・・。

去年の今頃・・・IYCも最初の緊急事態宣言で2か月クローズをしたタイミング。

はて、何が出来た1年だったろか?と振り返りました。

 

私にとっては

ラクティスを一番頑張った1年だったかもしれません。

ほんと、気が付くと頭の中がアシュタンガ(笑)。

宅練が出来るようになり、自撮り動画でアーサナを修正する事を覚えました。

それまで・・・コロナ前はスタジオ練のみ、エネルギーも外向きだった気がします。

周りが気になったり、いつも指導を受けられてる人を羨んだり。

 

この1年でちょっとだけ意識が内側に向きやすくなり、黙々と練習するのが好きになりました。

アーサナの成長は遅くとも(←やれやれ 笑)、心の成長は目覚ましかった(と、自画自賛♡)

 

コロナで何も出来なかった・・・・という人が多い中、割と収穫を得て納得しているラッキーな(お気楽な?)人。

 

こういう状況の中で「待ちの人」と「掴む人」2パターンに分かれるんだなぁ~とボンヤリ思っています。

 

待ちの人は、そのまま「受動的に待ってる人」。

道を示して教えてくれるのを、誰かが誘ってくれるのを待つ人。

指示待ち族。

掴む人は、「能動的に動く人」

今出来る事をやってみる人。

失敗しても途中でやめても良いけど、手を出してみる。

 

海外に行けないから国際交流が出来ないと思うか?

オンラインで様々な国の人とコミュニケーションできる機会と捉えるか?

 

最初のステップで既に道が分かれます。

そりゃ、出口が全然違ったものになるよね。 (;’∀’)

 

私は団塊ジュニア世代で、割と同世代の人口が多い時に生まれました。

なので、待っていたら・・・何も来ない。

誰か親切な人が手取り足取り教えてくれる事はありません。(´・ω・`)

 

今はみんな優しいからね~。

 

「待ちの人」は、この状況下で、手を差し伸べてくれる人も少なくなり、ストレスが溜まるでしょうね~。

何かやろうか?と思っても「でもXXかもしれない」「〇〇しないとダメらしい」と聞くと萎えてしまう。

誰かが優しく声をかけて、救い上げてくれるのを・・・無意識に待ってる。

 

「掴む人」は、この状況下でも「〇〇が出来た」「XXという新しいことをやってみた」という収穫を得ているのだと思います。

年齢や性別、関係なく。

マイルドなハングリー精神なのでしょうかね?

こんな時だからこそ、自宅時間を使って何かしてみようと思う気持ち。

 

もし「待ちの人」な自分を少し変えてみたいな、と思ったら「なりきり憧れの人」作戦。

憧れの人をイメージしてみます。

そして「今、この状況だったら、その人はどうするかな?」と想像してみる。

何も出来ないと嘆いて、ダラダラ1日中ネットニュース見て過ごしてるだろうか?

誰かの文句を言い、ストレス発散したりしているだろうか?

いつも無表情な不満顔かな?笑顔なんじゃないかな?

 

心が変われば態度が変わる

態度が変われば行動が変わる

行動が変われば習慣が変わる

習慣が変われば人格が変わる

人格が変われば運命が変わる

運命が変われば人生が変わる

野村克也氏が残したノートにあった名言だそうです)

 

ちょっとだけ憧れの人になりきって行動したら、何か変わるような気がしません?笑

 

私の最近の憧れの人は・・・長谷川平蔵鬼平犯科帳)です。笑 ←知ってる人は昭和だね。

 

たんぽぽのように優しく強く逞しく・・・。

 

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(小さい頃、たんぽぽと発音が出来なくて「たんぽこ」と呼んでました(笑)。)