ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

Mercy and Surrender

散々な練習だった後、、、マットに仰向けでただボンヤリ休んでいた時に、ふと“Mercy”と“Surrender”という言葉が頭に浮かんできました。

 

ナニしたかって・・・首から肩にかけてギュっと筋肉を痛めて途中でギブアップ。

ジャンプバックの練習で、色々試していたら変に負荷をかけてしまったようです。

上を向くのがキツい・・・寝違えた感じの上向きバージョンですわ。

 

それまで意気揚々と自分の仮説を試すべく、ジャンプバックのアレコレを試していました。

一気にポキリと気持ちが折れて、痛いわ首肩動かないわ・・・。

とりあえず(ブリッジ抜きで)プライマリーまでで終了し、長めのシャバーサナ。

(;´д`)トホホ・・・・。

 

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(写真はネットよりお借りしました。)

 

ヘロヘロな身体と情けなさ一杯の心・・・

え~い!!こうなったらガッツリとシャバーサナでお休みしてやるっ。

何も考えずに全体重をマットにドデ~ンと預けて、深い呼吸を繰り返してました。

固まった首肩を解すには・・・力を抜いてリラックス。

 

そんな事をしていたら「Mercy」という言葉がポンと頭に浮かびました。

『慈悲』とか、『情け』というニュアンスです。

何はともあれ(苦笑)、マットの上でプラクティス出来た事に感謝。

今、マットの上で気持ち良く解放された気分・・・に感謝。

痛めた後悔やら反省より、深い感謝の気持ちが浮かんできました。

(普段は、反省ばっかり浮かんでくるのにね~!)

 

・・・そう思うと、首肩痛めてプライマリーという目に見える結果ではなく、深いところでちゃんと意味のあるプラクティスだったのでは?なんて思いました。

 

多分(・・・だけどね)、痛めた事によりエゴのような(やりたい、克服したい!)強い気持ちが抑えられて、自分自身を練習にSurrenderしていたんじゃないか?と。

Surrender、『受け渡す』、『委ねる』というようなニュアンスです。

痛みを受け入れて、呼吸と身体に委ねた練習。

ムリせず「あ、この動きは痛いな」と思ったら、息を吐き&力を抜いて出来る所まで。

途中で休みたかったら、一呼吸多く深く呼吸を入れる。

チャクラ―サナ、ショルダースタンドなど首に負荷がかかるものは、優しく。

痛みを押さえつけるでも、支配されるでもなく、、、共存する練習。

 

MercyもSurrenderも・・・本来のヨガの目的としては大切なファクター。

痛めても、情けない練習だとしても、それを受け入れて感謝してる自分に成長を感じます。

シミジミ・・・ (*‘ω‘ *)

 

とは言え、、、痛いは痛いですヨ。(>_<)

現実は切ない・・・。

テニスボールで片側ずつ解して、ストレッチしたり軽く揉んだり、自分で出来る限りの方法を試しています。

寝違えた様な痛みなので、恐らく明日には回復していると信じています。

 

くぅ~・・・せっかく「これでジャンプバック、何か進歩できるか!?」と閃いた案だったのにぃ~!

どうやら不正解のようです(ガックシ)。

身体を浮かせる時の肘の使い方が違うのかな?。

それで色々試してたら、肘じゃなくて首肩をグキっとやっちゃった・・・の巻。

 

ジャンプバックは暫く迷宮を彷徨います・・・。