ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

自分が人生の主人公

はてはて・・・自分っていったい何者なんでしょうね?

(↑どうした? (;’∀’) )

 

更年期やら、コロナやら、色々な周りの影響で、今まで見えていた世界が変わってくることがあります。

なんとなく、、、自分を見失いがち。

とはいえ、見失うって言うほど、自分というものが分かっているのか甚だ疑問だったりもします。

 

自分自身・・・自分で分かっているつもりで一番分からない存在かもしれません。

・・・どうも頑固でマイペースらしいことは薄々気づいてますけどね(笑)。

 

ただ、自分の居心地の良さ・・・みたいなものは感覚的に判断できるようになってきました。

 

逆に何をしたら自分の心が曇るか・・・という風に言い換えた方が分かりやすいかも。

誰かを批判するような言葉や噂話を聞いたり

食べきれない食料を大量に処分したり

たばこのポイ捨てや、ごみを路上に捨てる人たちを見たり

 

見るだけでも心が曇るのに、自分自身が行為として行ったら居心地が悪くてしょうがない。

 

すると、居心地が悪いことはしたくないから、そういう行為は行わない。

そうやって、ボンヤリとした自分の“ひととなり”としての輪郭を理解していく。

 

自分を律するということは、ある意味自分自身をコントロールするという事。

 

ヨーガの学びのなかでは馬車に例えたりします。

 

自分の魂みたいなもの(プルシャ)=御者(馬を操る人)

心(チッタ)=馬

自分自身=馬車

 

自分をコントロールするというのは、自分の魂が、心を上手く操って正しい行先へ進ませるということ。

御者が馬を上手に制御できないと、馬車は脇道へ逸れたり、止まってしまいます。

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(画像はネットからお借りしました)

 

じゃ~どうしたら、ちゃんと上手くコントロールできるのよって事なんですけど。

ヨーガをすること(きっぱり)。

・・・ってもねぇ・・・ (;’∀’)

八支則とか、全部出来て無いわ。

 

なので、とりあえず御者としてちゃんとドライバーシートに自分が座っていることを確認するところから。

他人のなすがままに動いたり、もしくは誰かに馬の操作を委ねたりしないこと。

 

自分で小さな決め事をして、しっかり守ってみる。

朝は決まった曜日はちゃんとプラクティスすること。

夜は〇時以降は食べない、とかスマホを見ないとか。

履物を揃えるでも、

「いただきます」「ごちそうさま」をちゃんと言うでも良いです。

 

自分とのいくつもの小さな約束事を守ることで、自分への信頼と自信が増します。

そうすると、自分の意志で決めている実感を得られやすくなります。

例え誰かから勧められたものを選ぶにしても、「最後は自分の意志でコレを選んだ」という信念。

 

そういう小さな積み重ねの継続が大切なのだろうなと思っています。

御者の場所にちゃんと自分がいること。

手綱を握って馬車を操作している自覚。

 

まぁ、あとはどっちの方向に進めているのか、、、正しい方向なのか違うのか?

正しい方向であれば、恐らく道は続いているのでしょう。

違ってたら砂利道で凸凹して進みにくかったり、横転したりして・・・軌道修正のサインがあるはずですからねぇ。

行ってみないと分からない!! (*’ω’*)

 

自分の意志で、正しいと思う方向に走っていく先に、心の豊かさや本当の幸せ、、、みたいなものがあるのでしょうかねぇ。

・・・あって欲しいものです。(まだ迷走の最中ですよ 笑)

 

毎日コツコツと練習をするのも、自分が勝手に選んだこと。(そりゃそーだ)

朝ツライ日も、ダメな練習でも、とりあえずマットに立つという自分との約束。

 

自分がちゃんと、人生の主人公になっていますか?

 

誰かに言われたから?

やらないと怒られるから?

それは自分の人生の運転を、他人に明け渡してしまっているかもしれません。

 

人に運転を任せておいたら、道を間違った時に、私だったら自分勝手にその人を罵倒しそうです (;’∀’)

自分都合で生きてるもんで(汗)

ま、所詮みんな自己中ですよ、当たり前。

・・・だから、ちゃんと自分が手綱を握ってないとね。