ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

不恰好で無様なかっこよさ

真剣な姿は、見ていて美しいですよね。

やっぱり良いな、、なんて思っています。

 

用事の合間の時間、ついついスマホタイムなのですが・・・メインは動物の癒し動画(←私、大口顧客)ですが・・・がフォローしているハッシュタグでプラクティスのアーサナの画像や動画がランダムに上がってきます。

その他、宣伝写真かな?というイントラさんの呟きポエムなどもあります(笑)。

 

カメラを意識してるかは、同じアーサナの画像でも、なんか・・・分かっちゃうもんですね。

(女優さんレベルの演技力ならさておき、、、ですけど)

 

それとは異なり、カメラに気づかず練習している姿は、髪も振り乱し、すっぴんで、真顔の汗だく・・・・でも、とても美しい姿だな~と感じます。

カメラを意識させずコソリと狙うカメラマンの腕が良いのでしょうかね。

どんなにボサボサの髪で、ウエアも乱れて、汗まみれで髪が顔に張り付いて、なんなら口もちょっと開いて、ハミ肉ポロリでも(笑)・・・目は輝いて一点を見つめて集中力が漲っている、、、。

 

これは、カメラを意識してなんて出来ない姿ですよ。

カメラが狙っていると思った途端、髪やウエアは気になりますもんっ (‘ω’)

 

まぁ~・・・正直、自分がその姿で写っていたら、とても恥ずかしいかもしれません。

 

素を撮られるって、ちょっと恥ずかしくないですか? 

それを誰かが清々しいと思ってくれる、、、いや、無いな。(逆にジワるオモシロ写真だと思ってくれるかもですけどっ 笑)

 

大相撲など見ても、同じような気持ちになります。

ぶつかり稽古。

若い力士が汗まみれ、砂まみれで、何度も土俵で転がされながらもぶつかっていく姿は、オバサンはウルウルしちゃいますよ。

イケメンでもないし、マッチョというよりポヨンとしたフォルムだし、、、惚れはしないけど (;’∀’)

それでも真剣な姿は、清々しく美しいのですよねぇ。

 

写真の被写体になる時・・・不特定多数に見られる事を意識して撮られているのですよね。

お気に入りの角度で、脚がちょっとでも長く見えるポージングで、顔が小さく見えるように一歩引いて、華やかな仲間と勝負ウエア&決め顔で撮る写真って、、、どれも同じように見えてしまうのは・・・私だけでしょうかね。

自然に笑ったり、仲間と普通に語らったりしている姿の方が、何倍も美しいと思いますのよ。

その人らしさがキラっと写るほうが、魅力的。

 

とは言え・・・友人が何気なく撮った、気の抜けた瞬間の自分の素が丸出しの画像はビックリします。

は?このオバはんは誰?と全世界の記憶から消し去りたい・・・(‘ω’)

・・・誰か別の人がみたら、取り繕った顔より私らしいと思てくれるのかしらねぇ~・・・。

自分勝手なもんです。

 

ファインダーを意識すると、「そうありたい」という願望フィルターがかかってしまうのでしょうね。

そりゃそうよ、私もちょっとお腹ひっこめるし。

 

そしてそれは、受け手に違和感として伝わっちゃうのよね、、、。

不自然な笑顔の自分を見て・・・ちょっと違うなと思いつつ、だらしない「素」のオバサン顔よりマシか・・・に落ち着きます。

 

常にファインダーを意識して、いつ&どこでも撮られても良い自分になるか(←女優か!)

いつでも「素の姿」で自由にしていて、だらしないオバサン顔を本当の自分だと受け入れるか。

乙女心の戦いは続くのです・・・。

 

だって、よ・・・

自分が先に天寿を全うしてこの世から消えても、、、、写真や動画はどこかで残り続けるんですぜぇ。

 

でも、、、本当は不格好でも無様でも、あるがままの姿が人の心を捉えるものですね。

 

動物の癒し動画は、何をしても愛嬌がある姿で見飽きないですね~。

彼らはキメポーズとか、良く&若く撮られたいとか、無いからね。

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あるがまま・・・ある意味、ヨガの心得。