ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

先生とインストラクター

あるTV番組で、教職員の過重労働についての議論を見ていました。

小学校の担任は、受け持ちクラスの全教科を教えるのよね・・・。

それ以外にも生徒の父母とのコミュニケーション、小学校の運営の総務的な業務や、会合やら課外活動やら・・・。

やりがい搾取という言葉が聞こえてくるような多彩な職務内容なのに、、、お給料が安いのだそうです。

 

「各教科を教える」と「生徒を指導する」と分けて考えてはどうか?という提案でした。

確かに、塾の先生の方が教科の教え方は優れているような気がします。

その教科に特化して工夫を重ねて準備する時間も経験もあるし。

一方、担任として勉強以外の個々の成長を育むという面からすると、やはり担任の役割は大きいし。

 

武田鉄矢さんが若い頃教育実習をした時の経験を話していました。

実習を終えたあと、「教師としてはダメかもしれないけど、良い先生になるよ」と言われたそうです。

教科の教え方はメチャクチャだけど、、、生徒を惹き付ける素質があると。

 

確かになー。

ワタシが小学校の頃の思い出に残る先生は、まさにそんな感じの先生でした。

先生が話し始めると、クラスの生徒が自然と耳を傾けるような・・・あれは才能なのか?テクニックなのか?

 

ヨガのクラスでは指導者は・・・インストラクターという名称が一般的です。

技術的な分野の指導者というニュアンスが強い気がしています。

解剖学や体の運動機能に詳しいというのも、インストラクターとして大切な必須項目です。

しかし、一方でテクニック云々より、その人柄や佇まい・言動等でヨガの深い部分を伝えてくれる先生もいます。

 

得意不得意など色々ありますが、どっちも大切な要素ですね。

異なる分野なので、どちらも同じくらい見識が深く伝える事が出来るのが理想ですけどね・・・ムズカシイ。

 

生徒個人個人にも相性があって、良い先生が誰にでも同じように良い先生か?となると、それも100%でもないような。

生徒自身も学びが深まったり、年を取ったり(笑)・・・色々変化するため、その時々で必要な先生・インストラクターも変わってきますしね。

 

解剖学や運動機能などは、時間をかけて学んで経験を積めば、少しずつ知識として増えて行きますね。

しかしながら・・・人を惹き付ける素質って、、、アレはどうしたら良いのでしょうかね?

年齢を重ねれば、大きな声を出せば、出世すれば・・・など考えても、それだけでもない気がします。

人としての深み(?)みたいな、その人が出す雰囲気や空気感はトレーニングで養えるものでもなさそうな気がします。

 

ワタシが指導頂いている方々は、そんな「インストラクター」というより「先生」な方々。

もちろん身体の事も深く理解して、何度言われても出来ない私のような落ちこぼれも、丁寧に救い上げて指導してくれますの♡。

ラクティスが継続出来ている一端はそういう先生達のおかげです。

身体の機能だけの指導ならば、とっくに落ちこぼれてドロップアウトしていたでしょうね~・・・。

 

特にヨガという、身体だけでなく心や考え方などと深く繋がる分野には、そういう「先生」が沢山いて欲しいです。

もちろん解剖学や運動機能に特化したインストラクターも、それを必要としている人が沢山います。

 

ヨガはエクササイズじゃないよ、、、という扉が開いたら、その先へ誘ってくれる先生が身近にいたら最高に良いですよね。

そういう先生を間近にすると、「私イントラやってました」なんて・・・恥ずかしくて口にだせません(笑)。

レベチ(「レベルが違う」の若者言葉)というか、次元が違うぐらいの差。

一括りにすると、そんな尊敬する先生方と、私のような中途半端も・・・同じイントラ扱い・・・

お天道様が許してくれない気がしますわー (;’∀’)

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なので、すっかり一人のプラクティショナーとなって、ただただ練習を楽しむ日々でございます ('ω')。