ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

幸せは、気づくもの

先日、駅のエレベーターで私の前に立つ女性のリュックに、可愛いパンダのマスコットがついてました。

上りエレベーターの間、ずーっと目の前にパンダがブラブラ揺れているではないですか♡

思わず地上に出るまでニヤニヤしていました。

 

人って小さな事で幸せになれるんですよね。

 

幸せという言葉を発する時に、大きな“幸福”のようなイメージで捉えるのですが、、、実は幸せなんて沢山周りに既にあるもの・・・なのでしょうね~。

 

それをキャッチできる

気付ける余裕と

心の安定があれば・・・ですけど。

 

目の前にぶら下がっている他人のパンダのマスコットで・・・幸せになれるんですからねっ~。

これが、もし自分がイライラしていたり心配事を抱えていると・・・パンダすら見えてないかも。

 

ラクティスでも・・・そう。

以前ガムシャラに練習していた時は

「ドロップバック&カムアップが成功したら、幸せ。」

「カポタで足指タッチ出来たら、幸せ。」

 

上手く行かなかったら・・・(正直)幸せとは感じられない脳みそで練習していました。

 

今は、「ちゃんと練習出来たら、幸せ。」

その“ちゃんと”・・・は、特定のアーサナの成功に基づくものではなく、上手く力まず呼吸を丁寧に行った時に現れる・・・心が満たされた感覚です。

 

他人から見たら、アーサナの形もヘッポコだし、全然出来て無いかもですが・・・外側&他人の判断に委ねる幸せは無いのですよね。

アタイが幸せ♡と思ったら、それは幸せなんですわー。

 

アーサナの出来・不出来や、次のアーサナに進む・進まないで、幸・不幸が決まらないという事を学ぶために、継続した練習が必要なのかもしれませんね。

そう思えるまで・・・割と時間がかかった人です(笑)

 

以前のアーサナを追っている時期には分からなかった感覚です。

ケガしても無理してやったし、

1日でも休むのが怖かったし、

兎に角、毎日1ミリでも深まっていくことが目標だったし、

 

視野が狭く、思考も狭かった・・・。

 

身体もモチベも不安定な今は、痛みがあったらアーサナ飛ばすし、しょっちゅう練習休むし(こら)、出来なくっても・・・あんまりそれについて自分を責めなくなりました。

ま、出来ない事の方が増えたせいで、責め始めたらキリがないのでしょうけど。

 

でも、太陽礼拝は気持ち良いし

プライマリーまで集中して練習出来たり

呼吸が安定したリズムだと気づけたり

 

違った観点で自分の練習を観察できる事も増えました。

カポで喘いで、無理くり足指掴んでいた「攻め気味の強気の幸せ」の頃とは違う、ソファーに深くどっぷり座ってリラックスした感覚の「静かな落ち着いた幸せ」。

 

もう年齢的にも、後者の幸せで十分なのですよ。

幸せは、なんにもない、そんな練習にこそ潜んでいる・・・のです。

 

練習の量も回数も、一時期より減りました。

未だにドロップバックすらままなりません・・。

壁に手をついて呼吸するのがやっとなので、着地を試みると頭打ちそうなくらい低空飛行。

昔、苦も無く当たり前に出来ていた頃とは、全く感覚が違います。

 

でも、幸せなんですよ。

練習している時がとても幸せ。

 

あー今日もマットの上に立てた・・・。

無理かと思ったけど、プライマリーまで練習出来た。

最後まで楽しく出来た。

 

それで十分、幸せ。

それに気づけるほど、心に余裕が生まれているのかもしれません。

 

練習の継続効果、出てますね♪♪

アーサナに執着しなくなってきたのかしら~ 凄いわね~自分 (・´з`・)

 

ちなみに、心の余裕って・・・表にも出てるんですかね?

ワタシ、やたらと道を聞かれるタイプなのです。

「なぜ?あたし、選ばれた??」と思いながら、誰よりも方向音痴&道音痴なワタシなんですけど・・・精一杯分かる範囲でサポートします。

都会の皆さん、忙しなく余裕が無さそうな中、アタイ・・・余裕人間に見えているのかしら。

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誰にも話しかけらない人より、なぜかいつも道を聞かれる人・・・の方が、幸せですよね、きっと。