私は何のためにプラクティスをしているのだろうか?
根本的にして壮大なテーマ 笑 (^-^)
更年期のせいか、最近ますます宅練において不甲斐ない練習日が増え増した。
週1回ぐらい、心折れてプライマリーのみにしたり、カポやドロップバックを回避する日が出てきました。
心と身体がロックされちゃって「無理やりやっても苦しいしツライだけ・・・」という日は無理をせず、そんな自分を受け入れてます。
「そんな日もあるよね~♪人間だもの」と心で歌いながらゆっくり呼吸します。
苦しいまま無理やりやっても・・・やっただけの事実は残るけど、辛さはストレスとなって蓄積されます。
余計に練習に対して敷居が高くなる。
それよりも、穏やかに呼吸して出来るところまで頑張る方が、練習後の心の置き場所が変わってきます。
出来ない、挫けた自分が情けない・・・ではなく、そういう自分も認めるのがプラクティス。
ツライ・苦しい練習を続けていると、練習自体が嫌になってしまうかも。
長く細く続けるには・・・楽しまないと♪♪
最後、穏やかな呼吸と心になっていれば良いのです。
私のプラクティスの目的は、健やかな心と身体で居られること。
その手段として、マイソールプラクティスをしているのです。
この目的と手段をごちゃ混ぜにしてしまうと、余計に心にストレスになります。
毎日フルプラクティスをする事や、
カポで足指をタッチにすること、
ジャンプバックが出来るようになること
・・・これらはあくまで手段の中の一つです。
これを目的と勘違いしてしまうと、全て練習が「深刻」で逃げ場のないツライものになります。
達成できないとダメな自分を責めたり、心が暗くなってネガティブになったり。
逃げ場がないために心が尖ったり、鎧でシャットアウトしたり・・・。
本来の私のプラクティスの目的は「健やかな心と身体」です。
手段の一つぐらい欠けても、目的自体が崩れ落ちる事は本来ないハズなのです。
出来なかった自分を受け入れて、その上で目的に向かえば良い。
練習後、健やかな心でいる為には何が必要か?
ガムシャラに身体がツライ時にキツイ練習をする事じゃない。
基本に忠実に呼吸をゆったり目に動いてみる。
リラックスして無駄な緊張を解く。
自分の状態に合わせたプラクティスを実行する事。
シンプルに考えると、よくわかるんですけどね・・・・。
ガムシャラになって、尖ってる時は、視界が狭くなってるかも。
少し離れて全体を見渡すくらい視野の余裕がないと、ね。
「深刻にならずに、真剣に」
↑
これ、肝。
練習を通して、自分がどうなりたいか?どうありたいか?
そこを見失わないようにしましょう。
練習が目的じゃなくて、、、練習はあくまでも手段。
真面目な人ほど練習に深刻になりすぎて、心が砕けて練習自体を止めてしまう人がいるような気がします。
私みたいに、出来ないアーサナが沢山あってもヘラヘラ6年も続けている人がいるんですからね、、、皆さん大丈夫ですよ。
出来ない事は伸びしろです 笑。
いわば、ポテンシャルの塊。
出来るようになったこと、心の成長、色々ポジティブな変化を認めてあげましょ♡