ヨガの小路を散歩して

アシュタンガヨガの練習日記、ヨガや旅のことなど綴っています

「弓と禅」

2年振りぐらいに読みなおし。

『弓と禅』オイゲン・ヘリゲル著

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何度読んでも静かな緊張感を感じる本です。

弓道の修練を通して、日本の武道における精神的な部分に触れています。

アシュタンガプラクティスをしているならば、なんとなくストンと共感できる部分があるような気がします。

 

言葉や理論では伝えられない、抽象的かつ体感しないと本当の理解にたどり着けない世界。

 

ラクティスもこうありたい・・・と思っていますが、達人の域には到底届かないのが現実 笑。

でもエッセンスぐらいは取り込みたいですけどっ (・ω・)

 

「矢を放つ」ではなく「矢は放たれる」。

テクニックや筋肉の使いかたなどはご無用・・・。

集中状態で自分というものが無くなり&「それ」が訪れるのを待つ。

なんのこっちゃ 笑 (*’▽’)

↑ほんと、ビビビっと来る本なので、是非気になる方は読んでみてください♪♪

 

ラクティスでも、割と充実した後味を実感する時は、テクニックから離れている時。

結果を求めずにアーサナをしている時。

 

肩甲骨下げて~、顎引いて~、反り腰気を付けて~、股関節は~・・・・

そんな注意点ばかり気になってアーサナをしている時は、あまり気持ち良くない。

あまり考えずにスッと入れる時の方が、心が落ち着いて静かな集中したプラクティスになります。

 

とは言え、どうしたらいつもスッと入れるのか・・・分かりません。

外に意識が向きやすい日もあれば、周りの音や景色が気になったり、変に力む日があったり。

数式みたいに1+1=2みたいな簡単なものではないようです。

 

禅の修行僧のお話で、日々同じ円や形を書く作業によって、自分の心の状態を知るという事。

同じ形を毎日書いているのに、その時の心の状態によって違うそうです。

毎日同じプラクティスをしてても、同じじゃないというのと一緒ですね♡

やっぱりどこかで禅と繋がっている世界。

 

テクニックの日があっても、それはそれで良いのでしょう・・・。

その日の心の状態なんだからね~ (*’▽’)

あまり捕らわれずに練習できる日も、それはソレ。

そこばかり意識が向いてしまうと、また本質からずれてしまいそう 笑

 

あまり考えずにスッと練習をしている時は「あ~、こっちが本来目指す方向性なんだろな~」と感じます。

1つ1つのアーサナのアライメントばかりを追っていては、外側の形はキレイでも、内側の静けさは得られてない様な感じ。

頑張り過ぎの時・・・ね (*’▽’)

「よし、やったるぞ~!」「今日こそ、XXするぞ!」なんて日は、大抵ダメね。

(;´д`)トホホ

 

無欲の勝利、ビギナーズラック・・・そんなもん。

 

カポの時の私・・・現在は強欲の塊ですよ。 笑

手を歩かせたい、肘を床に下ろしたい、アーチを深めたい、欲望ONLY。

だ~か~ら~ ヨガの神様から“そういう事”って言われてそう。

手放せないから胸が開かないのかしらねぇ~・・・。

 

準備運動も長くて、間延びします。

それでも上手く行かず失敗した日は、ドンよりしたフィニッシングになります。

出来ても出来なくても、それはソレなんだけど・・・そう思えない。

全然心の修練は足りません・・・特に苦手なアーサナの時はね。

 

「弓と禅」では、もし精神的な弓を引けても、嬉しさを追わず、平常心で居なさいと。

成功に囚われるな、、、と。

え~、もしカポ成功したら、私その場で小躍りしちゃうな~♪♪

誰か見てた~っと周りの目撃者探すわっ。

動画あったらすぐインスタ上げるわ。

・・・ウカレポンチだろ、絶対。笑

 

達人の精神鍛錬に憧れつつも、ヘッポコなままなのでした (*’▽’)