昭和生まれの女子なので、「気遣いがや気配りが出来る女になりなさい」という教育で育ちました。
旦那さんが帰宅した時に、顔色、足音、纏う雰囲気を察知して
「あ、疲れているようだから、ゴチャゴチャ話しかけないようにしよう」
「お腹すいているんだな、おかずを温めなおしてすぐ出せるようにしよう」
「一人になりたいのだな?素知らぬふりをしておこう」
瞬時に判断して、そっと相手の気持ちを察して自然と行動できるのが、良くできた女・・・だそうだ。
テレパシーかよっ? (;・∀・)
でも、その風潮が当たり前の時代に育ったので、その傾向はあります(多分)。
気遣い出来て女性として一人前。
これがプラクティスで邪魔をする事が、、、多々あります (;・∀・)
勝手に気配りして、気遣いするあまり、自分の練習が疎かになること。
マイソールプラクティスのデビュー当時は、まさにそんな感じでした。
スタジオ練で、途中で入ってくる人のマットスペースがあるか、練習中でも常に空きを把握しておく。
「あ、もうないだろな・・・」と思うと、自分で率先してマットを左右にずらして、スペースを作ろうとしたり。
スタジオ内を歩く人の経路を予測して、
あ、あの人私の脇を通りたいのかもしれない・・・左側のアーサナを長めにして、わざとスペースを空けておいたり。
予測して、率先して気配りする・・・。
逆に言えば、練習に集中してないで、アンテナを外側に張り巡らせている状態。
誰が何が必要か?
どこに誰がいるか?
そんなことばかりを意識してしまっていました。
長年の習性でしょうね~。
途中から、「その女子力、、、練習では要らなくね??」と気づき始めて、今では割と鈍感力を身に付けました。
どこに空きスペースがあるかなんて・・・確認もしないし、する必要もない。
脇を通り抜けたいならば、ご自身でタイミングを計っていってチョーだい。
練習の時だけは、自分ファースト・・・という気持ちでスイッチを入れています。
人の気持ちや行動を察して動く事は暫しお休み。
それも心の学び。
気遣い出来る人って、逆にそういう事が難しいのですよね。
意識して生活するのが当たり前すぎて、スルーするだけで逆に罪悪感を感じてしまったり。
仲間でランチに行っても、取り分けたり、皆のお水を継ぎ足したり、オーダーをまとめたり。
周りは楽なんですよ・・・自然とやってくれている風に感じるので、やらせてしまっている感もないし。
本人もやらないと罪悪感を勝手に感じるし、やっていても責任感みたいなものが付きまとってリラックスしてないのですよね。
損な役回りです・・・(´・ω・`)
真面目で、親から良い子だと信頼されて育ち、周りからも気配り上手だと言われ続けてきた。
本当はぼ~っとしてるうちに誰かやってくれないかな・・・とチラと思ったり。
そういう人こそ、練習は学びの場だと思って、自分ファーストの練習を心がけてみると良いのかもしれません。
周りに鈍感になる、練習。
マットなんて、自分がスペースを率先して空けなくても、必要に応じて先生が広めの場所を調整するんだし、
歩く人が気を遣えば良い立場で、練習している最中はマットの上が優先で。
それを心と頭で納得して、ちゃんとスルーする事を出来るようになる、、、学び。
そうしないと、どこでも気を使って気配りしてたら・・・心が疲れ果てます。
どこかで限界が来ます、ホント。
自分のための練習なんだから、自分ファースト。
ワタシもそれで、少しずつ“気を回し過ぎる女子の呪い”から解放されつつあります。
身体を動かしてどうのこうの・・・よりも、そういう心のクセを見直す良い時間になります。
まだまだ未熟何で色々やらかしている事も多いし、
知った風で言ってますが、出来てない事の方が沢山ありますし、
お前が言うな(笑)って自分で突っ込みそうな時もあります。
所詮、みんな、そんなもんよ・・・・。
そんな感じで、出来てないながらも、何かシェア出来る事があればシェアしています。
だってね、全部出来て、なんでも分かってたら、そりゃもサマディでモークシャです。
・・・そんなん、釈迦さんレベルでっせ。
とりあえず、気遣いすぎる女子は、プラクティスで鈍感力を学んでみると、ちょっと気持ちが楽になるかもしれません・・・。
人生長いのですよ、、、息切れしないように自分ファーストの時間も大切ですね。